「栗城史多」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「栗城史多」の死に際とは?日本の人物

賛否両論、評価が二分された登山家「栗城史多」の散り際とは?この記事では栗城史多の晩年と最期について解説します。

「栗城史多」とは?簡単に説明

「元ニートのアルピニスト」を売り言葉に登山界に登場してきたのが「栗城史多」です。

派手な言動とパフォーマンスで世間に広く名前を売った一方、登山界では彼の体言を快く思っていない人も多く、好き嫌いが分かれる登山家だと言っていいでしょう。

世界七大陸最高峰を単独かつ無酸素登頂を公言しており、果敢にトライし続けました。

その一方で登頂過程が明らかになるにつれ、登山界の単独登頂、無酸素登頂の常識とはかけ離れているとされ、多くの批判を浴びています。



「栗城史多」の晩年

2004年から7大陸最高峰の6つに登頂成功。

2009年残るエベレストの頂上からインターネット中継を行うことを公言し、実際にエベレストへのトライ&チャレンジを試みます。

結果は全てが失敗に終わったうえに、2012年の4回目のチャレンジで右親指以外を全て第二関節から凍傷で切断する悲劇にあいます。

2015年からは3年連続で登頂アタックを試みますが、いずれも失敗。

インターネットなど世間での酷評に加え、登山界、登山雑誌などの関係者も彼の登頂方法に対して苦言を呈するなど批判の声が大きくなっていました。

そんな折2018年通算8回目のエベレスト単独無酸素登頂に挑むことを決め、同年4月に現地入りし、アタックの時を待ちました。



「栗城史多」の死に様

2018年にエベレスト単独無酸素登頂に選んだルートは南西壁。

いわゆる難関ルートに挑戦することを選びました。

現地に到着後にいきなり体調不良に見舞われるも、なんとか復調。

5300メートル付近のベースキャンプに滞在し、アタックの時を待ちました。

5月5日からベースキャンプを出立した後は比較的順調で2週間後の5月20日には7400メートルに到達しています。

しかし好事魔多し、翌21日未明に体調不良で下山することをベースキャンプに連絡。

その後消息を絶つことになりました。

このためキャンプ2に滞在していたシェルパが捜索したところ、6600メートル地点で「栗城」氏の遺体が発見されています。

35歳没。

原因は滑落による全身強打でした。

「栗城史多」の死に様の信憑性

『AbemaTV』が同日生放送を予定しており、6400メートル地点のキャンプ2は撮影隊もいたため、その死の信憑性は高いと言っていいでしょう。

また所属事務所からもFacebookで発表があり、滑落の事実と遺体の損傷が軽度だったことの報告もされています。

一方で今回も単独を謳い文句にしてましたが、同行していたシェルパの存在が発覚。

国内のメディアではこれに関して取り上げている媒体は少なく、ネパールの英字新聞である『The Himalayan TIMES』でその事実が公表されています。

同行していたシェルパが4人おり、彼らもともに滑落して亡くなったことが判明しています。

まとめ

「栗城史多」は2018年5月21日の未明にエベレスト7400メートル地点から体調不良により下山開始。

その後消息を絶ったため、キャンプ2からシェルパがルートを辿り捜索したところ、6600メートル地点で栗城氏と同行シェルパ4人の遺体が発見されました。

死因は滑落による全身強打で遺体の損傷から、100ないし200メートル程滑落したものと推定されます。

35歳没でした。

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