「金正日」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「金正日」の死に際とは?世界の人物

「金正日」の人生・人物像の概略を簡単に紹介してから、「晩年・死に際(死因)・死に様の信憑性」を詳しく説明します。

「金正日」とは?簡単に説明

金正日(きむじょんいる,1941-2011)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の総書記・国防委員長の地位に就いていた世襲の政治家です。

金正日は北朝鮮の「建国の父」である金日成(きむいるそん)の長男で、北朝鮮の第2代最高指導者として1994年から死去する2011年まで総書記をはじめとする「北朝鮮の最高権力・最高権威の役職」を独占していました。

金正日は北朝鮮の実質的な独裁者として君臨して、「反米・反自由主義・核開発」の政治を行った人物です。



「金正日」の死に様

金正日は2008年8月に、「脳血管障害(脳卒中)」の発作を起こして倒れてから体調が思わしくなくなりました。

北朝鮮の国営メディアの訃報では、2011年12月17日の午前8時半に、金正日は列車で平壌郊外へと現地指導に向かう途中、人民に奉仕しすぎた過労によって死去したと報じられています。

2008年8月の脳血管障害だけではなく心臓疾患の持病もあり、長期の精神的ストレス・肉体的酷使の影響で、「急性心筋梗塞」を起こしたことが直接の死因とされます。

享年70歳。



「金正日」の死に様の信憑性

金正日の死に様の公式発表は上記の通り、「人民のための現地指導に赴く列車の中で過労・持病もあり、心筋梗塞を起こして死亡した」というものです。

ただし韓国の非公開の情報委員会では、12月17日ではなくて前日16日の夜に官邸で心筋梗塞で死亡した可能性があるとの報告をしています。

龍谷大学の李相哲教授も、2011年12月16日の午後8時に次女・金雪松宅の寝室で心筋梗塞などの発作で倒れて、その後に搬送先の病院(32号招待所にある病院)で午後11時頃に死亡したという説を唱えています。

「金正日」の小ネタ等

1982年2月15日に行われた中央人民委員会の発表では、金正日の生誕地は北朝鮮と中国の国境に近い「白頭山(ペクトサン)」とされ、白頭山は「革命の聖地」と定義されています。

しかし、金正日が実際に生まれたのは北朝鮮国内ではなくソビエト連邦の「極東地域」である可能性が高いとされています。

金正日の出生名はロシア風の「ユーリイ・イルセノヴィチ・キム」であり、ユーリイの音に合わせた朝鮮的な幼名は「有羅(ユーラ)」でした。

「将軍様」と尊称されるものの、実際の戦争経験・軍の指揮経験はありません。

まとめ

「金正日」の人生のあらましを紹介した上で、「死に様・死に際・その信憑性」を詳しく説明しましたがいかがでしたか?

「金正日」の晩年・死因・死に際がどのようなものであったのかを知りたい時は、この記事の内容をチェックしてみてください。

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