「梨元勝」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「梨元勝」の死に際とは?日本の人物

「梨元勝(なしもとまさる)」とは?

梨元勝の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「梨元勝」とは?簡単に説明

梨元勝は「恐縮です!」といいながら芸能人にマイクを向けて直撃取材するスタイルのリポーターで知られ、ワイドショーにおける「芸能リポーター」というジャンルを確立した芸能リポーターの先駆け的存在です。



「梨元勝」の晩年

梨元の一本気な性格は多くの芸能人に慕われた反面、芸能プロダクショに忖度するテレビ局と対立することも多く、晩年はレポーターとしての出演が激減しています。

そこで梨元はネットに活路を見出していくことになります。

一方、梨元の体調ですが、2010年5月初旬頃からせきが続いたため、テレビ出演時はのど飴を舐めながら努めていました。

その後、主治医の検査を受けたところ右肺に影があると診断され、精密検査の結果、同年6月5日に肺がんと告知を受けます。

しかし手術はせず、入院して抗がん剤治療を選ぶのでした。

そして、長年芸能リポーターを務めてきただけあって、「自分のこともきちんと伝えたい」とし、自らのサイトで病状結果を報告していました。

なお、一見丈夫そうな健康体に見える梨元ですが、実は過去に肺炎、腎臓病、拡張型心筋症などを患い、11回も入院生活を繰り返している身体でした。



「梨元勝」の死に様

梨元勝は2010年(平成22年)8月21日午前5時19分、肺がんのため入院中だった東京都渋谷区の東海大学医学部付属東京病院で息を引き取りました。

65歳でした。

梨元は死の直前まで仕事に追われていました。

日中は4基の携帯電話で取材を行ない、パソコンで記事入力する傍ら、合間を縫って取材や打ち合わせを行なっています。

病室はまるで個人オフィスのようだったそうです。

一方、夜は妻と一人娘との団らんの時間に充てられたようで、これまでは団らんの時間はほとんどなかったそうですので、最後になって与えられた至福の時間だったのではないかと考えます。

また、晩年はブログやTwitterを積極的に活用していた梨元は、8月17日に最後のツイートをしており、その中で「なかなか寝付けません。

しばらくテレビを見ます。

一人でトイレいけないのが辛いです」
とつぶやき、最後の言葉として「頑張りまーす!」と締めくくっています。

また、ブログは8月6日付の日記が最後となっています。

ここでは久しぶりに日帰りで家に戻ったことが記されています。

親子3人で夕食を食べ、飼い猫にも会えたことがとても嬉しかったようでした。

最後はTwitter同様、「来週はまた抗がん剤の投与なので頑張ります」と綴っており、辛く苦しい闘病生活の中にあって挫けることなく自らを鼓舞するかの如く感じられます。

「梨元勝」の死に様の信憑性

梨元勝の死に様は病院の中のため、伝わっている内容で信憑性は高いと言えます。

また、梨元は闘病中の自身の映像を芸能情報サイト「梨元芸能!裏チャンネル」で公開しています。

このことから梨元は「自分のことをきちんと伝えたい」という信念を通したようです。

まとめ

梨元勝は2010年8月21日に肺がんのため65歳で逝去しています。

外見や行動力からは想像できませんが、闘病のため入退院を繰り返す人生だったようです。

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