「小川誠子」の人生・人物像の概略を簡単に紹介してから、「小川誠子の晩年・死に際・死に様の信憑性」を詳しく説明します。
「小川誠子」とは?簡単に説明
小川誠子(おがわともこ,1951-2019)は福井県出身・愛知県名古屋市育ちで、若い頃から女流棋士として活躍した女性です。
14歳の時、「全日本女流アマチュア囲碁選手権大会」で優勝、「おかっぱ本因坊」として注目されました。
木谷實の内弟子となり18歳でプロ棋士デビュー、2008年に500勝達成しています。
1977年、俳優の山本圭と結婚して一女をもうけ、女優・吉永小百合とも交遊がありました。
「NHK杯テレビ囲碁トーナメント」の聞き手としても人気でした。
「小川誠子」の死に様
「小川誠子」の死に様は、「体調を崩した後の病死」になります。
小川誠子は2019年11月15日に病状の悪化により死去したと報じられていますが、具体的に何の病気で亡くなったのかは明らかにされていません。
2014年に「大腸がん」を発症したという報道があり、2015年にはそのがんが再発したことは分かっていますが、その大腸がんや再発・転移などが2019年の死因であるのかについては不明です。
ただし10月30日づけで「囲碁の休場届」を出されていることから、その時点でかなり体調は悪かったと考えられます。
享年68歳。
「小川誠子」の死に様の信憑性
「小川誠子」が何らかの病気(不調)があり、その病気が悪化するか急性の発作が起きるかなどして亡くなったことは確かですが、「病死以上の情報」については新聞・テレビは報道していません。
「病死」であることの信憑性は高いと言えますが、「具体的な病名」については分からないということになります。
ただし夫の山本圭がお別れ会で「本人は70歳までは生きる、70までは碁を打つと言っておりましたが昨夏頃から調子が悪くなりました」と語っていることから、少なくとも2018年夏の段階で体調が思わしくなかったことが分かります。
「小川誠子」の小ネタ等
「小川誠子」は囲碁の世界で女流棋士として長期にわたって活躍して実績も上げてきた人物ですが、俳優の山本圭と結婚したこともあり吉永小百合などの著名な芸能人とも付き合いがありました。
吉永小百合主演の「千年の恋 ひかる源氏物語」では囲碁が出てくるシーンで指導役もしています。
スポーツ報知で「詰め碁連載」を29年間もつとめるなど、囲碁の知識や楽しみ方・基本的戦術の普及にも貢献しました。
まとめ
「小川誠子」の人生のあらましを紹介した上で、「死に様・死に際・その信憑性」を詳しく説明しましたがいかがでしたか?「小川誠子」の晩年・死因・死に際がどのようなものであったのか詳細に知りたい時は、この記事の内容を参考にしてください。