マサカリ投法、川崎時代のロッテオリオンズの大エース村田兆治の晩年と最期とは?この記事では村田兆治の晩年と最期について解説します。
「村田兆治」とは?簡単に説明
東京荒川区に東京スタジアムがまだ存在していた1967年のドラフトで東京オリオンズにドラフト1位で入団。
ロッテに買収された2年目から頭角を現します。
マサカリ投法と呼ばれる独特のフォームに加え、豪速球と鋭いフォークボールが特徴でした。
70年代から80年代のパリーグの顔の一人でもあり、野球漫画にもしばしば登場するほどの人気選手でもありました。
スポーツ医学の権威であるジョーブ博士が知られるようになったのは彼の手術による復活劇があったからこそだと言っていいでしょう。
「村田兆治」の晩年
引退後は野球解説者や離島振興活動を続けるとともに各種プロ野球OB、名球会主催イベントに登場しています。
57歳の2007年に139キロの速球を大会で記録。
2012年に62歳で129キロをテレビ番組の企画で投げており、年齢に釣り合わない豪速球は健在。
YouTubeの野球選手は一様にそのボールの凄さを賞賛しています。
また独特の個性から村田伝説も併せて語られていました。
しかし晩節を汚すこととなったのは2022年の9月のことでした。
羽田空港の保安検査場で女性検査員に暴行を加えて逮捕されてしまいます。
このことにより世間からバッシングを受けると同時に現役生活を連れ添った妻と別居中などネガティブな近況がさらけ出されてしまうのでした。
「村田兆治」の死に様
前述した事件は不起訴処分となりましたが、さらなる驚きの事態が発生します。
2022年11月11日の深夜3時15分、東京世田谷区成城の自宅から出火。
村田氏は消防隊員により、二階で座っていたところを救出されています。
意識は不明であったものの息はあり、病院へ緊急搬送されましたが、3時間後の5時57分に死亡が確認されました。
死因は火災の煙を吸ったことによる一酸化炭素中毒によるものでした。
72歳没。
「村田兆治」の死に様の信憑性
警察が調べた結果、出火は二階のリビングで村田氏は同じフロアの小部屋で発見されており、トレーニングルームであったようです。
当日は出火の30分ほど前に大きな金属音がしたことも隣家の住民からの証言がされています。
ただし出火の原因や火元についてもわかってはいません。
4時過ぎに村田氏が救出された時は半袖Tシャツにパンツ一丁という姿だったと言います。
自殺説もありますが、遺書がないのに加えて下着姿だったのが腑に落ちないと指摘もされています。
施錠されており、村田氏に外傷がなかったため外部からの犯行は考えられないため、謎が残る死になりました。
まとめ
「村田兆治」は2022年11月11日の午前5時57分に緊急搬送先の病院で死亡が確認されました。
72歳没。
死因は火事の煙を吸い込んでの一酸化炭素中毒でした。
嫁と別居生活になり、高級住宅に一人で住む寂しい晩年が報じられており、逮捕されたことで精神的に煮詰まってしまっての自殺という見方が主流です。
しかし遺書がなく、出火原因も不明のため真偽の程はわからないままです。