「川谷拓三」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「川谷拓三」の死に際とは?日本の人物

「川谷拓三(かわたにたくぞう)」とは?川谷拓三の死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「川谷拓三」とは?簡単に説明

川谷拓三は大部屋俳優出身の昭和の俳優です。

美空ひばり主演映画の死体役でデビューし、その後東映京都の大部屋俳優となり、斬られ役や殺され役専門で死体を演じていました。

任侠映画のチンピラ役での迫真の演技が認められ、徐々に知名度も上がり、「河内のオッサンの唄」で初主演を務め、NHK大河ドラマ「黄金の日々」の杉谷善住坊役が当り役となって、名脇役として数多くの作品に出演しています。

また山城新伍と出演した「日清どん兵衛」のCMは大変人気となり、15年も続いています。



「川谷拓三」の死に様

川谷拓三は1995年6月下旬に体調を崩し、同7月に東京都内の病院に検査入院します。

その結果、肺がんであることが判明します。

この時、すでに「ステージ4」という末期状態でした。

医者からも「もってあと1年」と宣告されていたようです。

しかし川谷の俳優として生涯を全うしたいという意志を尊重して、マスコミには呼吸器系の病気だと公表し、肺がんであることを隠して役者人生を全うします。

川谷は同10月に京都市内の京大附属病院に入院しますが、これにより秋に野川由美子らと舞台「てにをはエレジー」に出演予定でしたが、降板することになります。

そして同年12月22日午後8時30分に息を引き取りました。

まだ54歳という若さでした。

息子の仁科貴は、「父は最後まで痛いとも苦しいとも言わず、戦いました。

映画の中のどんな死に様よりも素顔の死のほうが格好よかったと思います」
と語っています。



「川谷拓三」の死に様の信憑性

川谷拓三の妻は同じ東映の大部屋仲間だった女優の仁科克子です。

上述の死に様についても妻の仁科克子の話が元になっており、信憑性は高いと言えます。

「川谷拓三」の小ネタ等

川谷拓三の妻の仁科克子によると、川谷はお金にはルーズで、稼いだお金はすべて飲み代で消えたそうです。

お人好しな性格が災いして、毎晩の飲み代も全部自分のおごりだった上、お金も貸していたためです。

また個人事務所を立ち上げた際は、経理担当の社員を信用してすべてを任せたところ、その担当社員に7000万円横領されています。

そんなこともあって、川谷が亡くなったときの財産はほとんどゼロだったため、その後苦労したと語っています。

まとめ

大部屋俳優から主演俳優・名脇役になるという夢のような話を具現化した川谷拓三。

しかし、その裏には人知れない努力の積み重ねがあったようです。

NHK大河ドラマ「黄金の日々」の杉谷善住坊役は確かに川谷のあたり役で、今後誰が演じても川谷を超えられないと思わせるほど役になり切っていたように覚えています。

それだけに54歳という早すぎる死が残念です。

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