東映ニューフェイスの第6期生である女優の太地喜和子(たいちきわこ)は48歳で亡くなっています。
今回は、70~80年代にテレビドラマや映画、舞台などで活躍していた彼女の死因に迫ります。
「太地喜和子」とは?簡単に説明
昭和18年に東京都中野区で生まれた太地喜和子は東映ニューフェイス出身の女優です。
高校在学中に東映と専属契約を結んだ太地は、活動開始当初は志村妙子(しむらたえこ)名義で映画などに出演していました。
高校卒業後に俳優座養成所の15期生として入団した太地は、その後文学座に転籍し昭和43年に公開された映画「藪の中の黒猫」に出演し、ヌードもいとわない大胆な演技が評価され、一躍有名になりました。
昭和49年に俳優秋野太作と結婚した太地は、わずか8か月間の結婚生活の後に離婚し、その後三國連太郎や中村勘三郎、志村けんなどの大物芸能人たちとのロマンスを噂されていましたが、その後は生涯独身を通していました。
離婚後も女優として活動を続けていた太地でしたが、平成4年、乗車中の車を襲った水難事故により48歳と言う若さで死亡しています。
「太地喜和子」の死に様
平成4年10月13日、太地喜和子は48歳で死亡しています。
死因は太地が乗車していた車が桟橋から誤って海に転落してしまったことによる溺死によるものでした。
静岡県伊東市で公演していた「唐人お吉」に出演中だった太地は、公演期間中のこの日、午前2時過ぎごろまで俳優仲間2人と共に知人が経営するスナックで飲んでいました。
宴席で太地が海を見たいと言い出したことから、スナックのママさんが運転する乗用車で未明に海を見に行きますが、望み通り真っ暗な海を眺めた後、桟橋からお店に戻ろうとした矢先、車は誤って海に転落してしまいます。
同乗していた俳優仲間の男性2名と運転していたママさんは水没していく車から脱出し、泳いで生還を果たしますが、太地だけは泳げなかったためそのまま溺死してしまいます。
海に転落する前にはすでにかなりの深酒量だったことから、泳げなかった太地のみ、生還することができませんでした。
「太地喜和子」の死に様の信憑性
太地喜和子が死亡した当時に出演していた「唐人お吉」で演じていた主人公の女性は、伊豆下田で実際に芸者を務めていた女性であり、幕末から明治時代にかけて実在していた「斎藤きち」さんがモデルとなっています。
この物語はフィクションでしたが、太地が演じた主人公「きち」は、アメリカ総領事官のハリスの妾となり、ハリスと離別した後は酒におぼれ、最終的には伊豆下田の海に身投げをして死んでしまいます。
主人公の「きち」は、48歳で入水自殺をしてしまいますが、この時の年齢や死亡した場所、そして日付までもが、後に太地が実際に亡くなった当時の記録と共通していたことは、数多くの関係者やファンたちを大変驚かせました。
「太地喜和子」の小ネタ等
デビュー当初は「志村妙子」という芸名で活動していた太地喜和子は、コメディアンである「志村けん」の大ファンだったことで知られており、人気テレビ番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「志村けんのだいじょうぶだぁ」などに出演して、女優ながらもコントなどを披露していました。
まとめ
全裸になることもいとわない大胆な演技で人気を博していた女優の太地喜和子は48歳で亡くなっています。
数々の有名俳優や芸人などと浮世を流した太地は、女優としてだけではなくコメディやCMなどでも才能の片りんを見せつけており、彼女の残した数々の功績は未だに光り輝いています。