子役として数多くのテレビドラマや映画などに出演していた戸川京子(とがわきょうこ)は、37歳と言う若さで永眠しています。
今回は明るいキャラクターと優しい語り口で知られた彼女の死因に迫ります。
「戸川京子」とは?簡単に説明
昭和39年に東京都新宿区で生まれた戸川京子は、女優やテレビタレントとして活躍した人物で、歌手の戸川純は実の姉にあたります。
若干5歳ですでに劇団ひまわりに所属し、子役として数々のテレビドラマや映画などに出演していた京子は、20代に入ると女性ファッション雑誌「CUTiE」の読者モデルを務め、ファッションリーダーとしての地位を確立していきます。
その後、テレビのバラエティ番組などにも出演するようになった京子は、平成5年に人気ロックバンド「ZIGGY」のドラマー大山正篤(おおやままさのり)と結婚しますが、後に離婚しています。
その後もテレビや映画を中心に活動を続けていましたが、平成14年に縊死(いし)により37歳で死亡しています。
「戸川京子」の死に様
平成14年7月18日、戸川京子は東京都内の自宅にて首を吊って死亡しているところを関係者によって発見されています。
遺体が発見された日にはテレビの旅番組の撮影が鹿児島で行われる予定でしたが、約束していた早朝の空港に現れなかった京子を心配した関係者が彼女のマンションを訪ねたところ、すでに縊死している彼女の遺体を発見しています。
京子は当時ひとりで暮らしていた世田谷区のワンルームマンションで、家具に紐を括り付け、首をそこに引っ掛けてパジャマ姿のままで亡くなっていたそうです。
持病の喘息治療のために病院の近くのこのマンションに引っ越してきてから、わずか3週間後のことでした。
「戸川京子」の死に様の信憑性
30歳を迎えるころに喘息を患ってしまった戸川京子の病状はその後少しづつ悪化し、1日4度の投薬治療を受けるほどの状態に陥っていきます。
この薬を1度でも飲むのを忘れてしまうと発作を起こしてしまうほどの状態だった京子は、死を迎える前年には心筋梗塞も発症しており、それに加えてこの時期はうつ病も併発していました。
元々持病の喘息を抱え、舞台の稽古中に咳が止まらなくなってしまうことも少なくなかった京子は、舞台関係者や共演者たちに対する負い目が徐々に大きくなっていき、晩年には親しい友人などからの連絡にさえ応えることができない状態に陥っていたと言います。
京子が亡くなっていた室内には遺書などは残されていませんでしたが、死後に遺品を整理していた実の父親が「死ぬのは嫌じゃない、楽になれるというイメージがある」という手書きのメッセージが綴られているメモ帳を室内で発見しています。
「戸川京子」の小ネタ等
戸川京子の実の姉である歌手の戸川純は、京子が亡くなる7年前に人間関係のトラブルを抱えていたことにより、自宅マンションでカミソリを使って自身の首を切りつけ自殺未遂を起こしています。
その他にも睡眠薬の乱用や団地5階からの飛び降り、公道を走っている車に飛び込むなど、実の妹である京子よりも死に近いと言われていた姉の純は2022年現在でも、61歳で存命しています。
まとめ
5歳にして劇団ひまわりに所属し、明るいキャラクターと元気な話しぶりで人気を集めた子役だった戸川京子は37歳で永眠しています。
女性ファッション雑誌「CUTiE」ではモデルとして活躍し、人気ロックバンド「ZIGGY」のメンバーと結婚するなど、時代を駆け抜けていた彼女の輝きは未だに色褪せていません。