この記事では、「岸田今日子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「岸田今日子」とは?
岸田今日子は個性派女優として知られ、テレビドラマや映画、舞台などで活躍しました。
アニメ「ムーミン」の声優でもあります。
父は文学座の創立者の1人で、1950年に文学座で初舞台を踏みます。
1964年に初主演した映画「砂の女」はカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞し、世界的にもその演技は高く評価されました。
その後も数々のテレビドラマに出演し、ナレーションでも独特の語り口が人気を集めます。
エッセイストとしても活躍しました。
「岸田今日子」の晩年
岸田今日子は、晩年も女優として精力的に活動していました。
2005年には演劇集団円の舞台「オリュウノオバ物語」に主演しています。
演劇集団円は芥川比呂志を中心に設立された劇団で、岸田今日子自身も設立に携わっています。
岸田今日子の発案で始められた「円・こどもステージ」は、大人から子供まで楽しめる舞台として人気があります。
また、テレビドラマ「あいのうた」にも出演しています。
プライベートでは一人娘の家族と一緒に暮らしていました。
娘は1954年に結婚した俳優の仲谷昇との間にもうけていますが、仲谷とは1978年に離婚しています。
ただし、離婚後も演劇集団円を通じて交流があり、良好な関係を築いていたといいます。
「岸田今日子」の死に様
岸田今日子が亡くなったのは、2006年12月17日でした。
その年の1月に激しい頭痛に見舞われ、病院で診察を受けたところ脳腫瘍が判明します。
すでに手術ができない状態でした。
投薬治療が行われますが、8月には一時危篤に陥ります。
その後、持ち直して小康状態が続いていました。
そして容体が悪化し、亡くなったのです。
享年76でした。
「岸田今日子」の死に様の信憑性
岸田今日子は脳腫瘍で入院して以降、闘病生活を送っていました。
亡くなる前日には、見舞いに訪れた客と普通に会話していたといいます。
しかし、容体が急変し娘家族に見守られながら亡くなりました。
岸田今日子には孫もいて一緒に暮らしていましたが、「おばあちゃん」ではなく「今日子ちゃん」と呼ばれていたといいます。
元夫である仲谷昇もその1か月前に亡くなっていますが、病床にあったので葬儀に参列することはできませんでした。
まとめ
岸田今日子は晩年も女優として活動し、娘一家と一緒に暮らしていました。
脳腫瘍を患い、76歳で亡くなっています。