この記事では、「有沢比呂子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「有沢比呂子」とは?
有沢比呂子とは、時代劇やサスペンスドラマなどで活躍した女優です。
1990年にサンミュージックが主催するオーディションで優勝し、芸能界にデビューすることになりました。
翌年のビデオ映画「キャント・バイミー・ラブ」に初出演しています。
「半七捕物帳」や「銭形平次」「暴れん坊将軍」といった時代劇に多数出演しており、舞台でも活躍していました。
1997年にはヌード写真集「RED PATIO」も出版しています。
「有沢比呂子」の晩年
有沢比呂子は、晩年も女優としても活動を行っていました。
日本舞踊が得意で、和服姿がよく似合う女優です。
そのため時代劇に出演することが多く、舞台でも着物を着て演じる役が多くありました。
2011年にはNHKの正月時代劇「隠密秘帖」に出演しています。
また、刑事ドラマとして人気の「相棒」や「おみやさん」等に出演したこともあります。
2時間物のサスペンスドラマやミステリードラマにも出演していました。
デビュー当時は「有沢妃呂子」という名前でしたが、2008年に「有沢比呂子」に改名しています。
それからプライベートでは、作詞家として知られるなかにし礼の長男と2000年に結婚しました。
「有沢比呂子」の死に様
有沢比呂子が亡くなったのは、2015年12月11日のことです。
死因は急性心不全で、倒れているところを発見され救急搬送されます。
急性心不全は突然死に多い死因で、心臓に異常が発生して機能しなくなる状態をいいます。
病院に搬送されますが、死亡していることが確認されました。
43歳という若さで亡くなってしまいます。
「有沢比呂子」の死に様の信憑性
有沢比呂子の死は、本当に突然のことでした。
病気の兆候は全くなく、その年の春には舞台「細雪」にも出演しています。
また、明治座で行われる「伍代夏子 藤あや子新春特別公演」の第1部に芸者役として出演する予定にもなっていました。
急死したことで自殺したのではないかという噂もありましたが、警察によって病死と判断されています。
葬儀などは遺族の静かに見送りたいという意向で、近親者のみで営まれました。
出演するはずだった舞台の顔よせでも、黙とうが行われています。
まとめ
有沢比呂子は女優として活動しており、舞台出演も控えていました。
しかし、急逝心不全で倒れそのまま帰らぬ人となります。
享年43です。