「有吉佐和子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「有吉佐和子」の死に際とは?日本の人物

この記事では、「有吉佐和子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。

「有吉佐和子」とは?

「有吉佐和子」とは和歌山県出身の作家で、「紀の川」「華岡青洲の妻」「恍惚の人」「複合汚染」などの小説が知られています。

「紀の川」は和歌山の自身の家系をモデルにした小説で、作家としての地位を確立した作品です。

三世代の女性が明治から昭和にかけて生き抜く様子を描いています。

また、歴史や古典芸能を扱った小説も執筆していますし、認知症や環境汚染といった社会問題を扱った小説など幅広いテーマに取り組んでいます。



「有吉佐和子」の晩年

「有吉佐和子」は、晩年も作家として創作活動を行っていました。

1977年から1978年にかけて文芸雑誌「群像」に連載されたのは、「和宮様御留」です。

和宮は仁孝天皇の皇女で、江戸幕府の第14代将軍徳川家茂に降嫁した人物になります。

その和宮が別人と入れ替わっていたという替え玉説を題材にした作品で、発表当初から大きなセンセーションを巻き起こしベストセラーとなりました。

この小説は毎日芸術賞を受賞しており、二度テレビドラマ化もされています。

また、「有吉佐和子」の遺作となったのは、愛憎渦巻く人間ドラマを描いた長編ミステリー「開幕ベルは華やかに」でした。

また、環境汚染をテーマにした小説「複合汚染」により社会派というイメージが定着し、文部科学省におかれている中央審議委員会の委員に任命されたりもしています。

政治家の応援など社会的な活動も行っています。



「有吉佐和子」の死に様

「有吉佐和子」は、1984年8月30日に東京の杉並区にある自宅で亡くなりました。

死因は急性心不全で、就寝中に亡くなったとされます。

享年53でした。

「有吉佐和子」は一度結婚していますが、2年程で離婚しています。

娘を一人もうけており、7月には娘の短期留学を見送るためにイギリスを訪れています。

海外に出かける程だったので、亡くなる直前まで元気で過ごしていたことが分かります。

「有吉佐和子」の死に様の信憑性

「有吉佐和子」の死は突然のものだったので、監察医による行政解剖が行われました。

自殺したのではないかとも考えられましたが、解剖の結果、病死ということが判明しました。

まとめ

「有吉佐和子」は晩年、「和宮様御留」「開幕ベルは華やかに」といった小説を執筆しています。

自宅で就寝中に心不全を起こし、53歳で亡くなっています。

司法解剖も行われましたが、病死でした。

タイトルとURLをコピーしました