「山本俊彦」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「山本俊彦」の死に際とは?日本の人物

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この記事では「山本俊彦」の晩年と最期について解説します。

「山本俊彦」とは?簡単に説明

フォークユニット『赤い鳥』を経て、メンバーの「山本潤子」「大川茂」とともに『ハイ・ファイ・セット』を結成。

『赤い鳥』ではギターを担当していましたが、今ユニットではテナーボーカルを受け持ち、その軽く柔らかい声質が生み出すハーモニーは多くのファンを魅了しています。

メンバーの「山本潤子」氏は実の妻になります。

94年にグループを解散後、夫人は多くのユニットに参加し、2014年の活動休止まで歌い続けましたが、自身は一線を退き、音楽プロデュース業へと移行しています。



「山本俊彦」の晩年

94年に『ハイ・ファイ・セット』を解散後、歌手としての最前線から一歩引いて、プロデュース業を行っていました。

完全に裏方にまわると、表舞台で歌を披露することはありませんでした。

しかし2010年11月15日に妻・山本潤子の東京公演にて、ギターを持って登場。

緊張しているといいつつも、往年さながらの声をファンに届けています。

また私生活は悠々自適で夕方に晩酌、早朝から趣味のテニスを楽しんでいたとされます。

しかし2014年は山本夫妻にとって大きな転機となってしまうのでした。

潤子氏が声の不調から、同年5月をもって無期限休養に入ることを発表。

発表されたのは2月下旬でしたが、1ヶ月後には俊彦氏にも災いが降りかかります。



「山本俊彦」の死に様

訃報が知らされたのは2014年の3月29日のことでした。

同年3月28日6時50分、東京都世田谷区の自宅二階で倒れているところを発見。

救急隊員が駆けつけたもの息を吹き返すことはありませんでした。

67歳没。

「山本俊彦」の死に様の信憑性

死に様の信憑性について不透明なのはメディアにより、第一発見者が妻の潤子氏と夫妻の長男とに別れている部分でしょう。

また死亡確認についても同様でその場で死亡確認された記事と搬送されてから死亡確認された記事もあり、このあたりはどちらが正しいかはわかりません。

しかし潤子氏が同年3月29日のブログで「倒れた夜に気が付いていたら生還していたのでは……と悔やまれます」との文言があったため、第一発見者は彼女だった可能性が高いように思われます。

また同記事で死因が虚血性心不全だったことも明かされました。

まとめ

「山本俊彦」は2014年3月27日の夜、東京都世田谷区の自宅二階で倒れ、帰らぬ人となりました。

67歳没。

翌朝7時前に潤子氏、緊急隊員により措置をうけたもの死亡が確認されています。

死因は虚血性心不全でした。

第一発見者と死亡確認場所に関しては報道が複数あり、真偽不明です。

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