「日吉ミミ」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「日吉ミミ」の死に際とは?日本の人物

割烹ひろみに現れる謎の歌手「日吉ミミ」の散り際とは?

この記事では日吉ミミの晩年と最期について解説します。

「日吉ミミ」とは?簡単に説明

「日吉ミミ」氏最大のヒット曲になったのは『男と女のお話』です。

時代を越えてバラエティ番組等で使われたこともあり、名前と曲名は解らなくても出だし部分は知っている人も多いと思われます。

60代前後の方にとってはTBSの人気ドラマ『ムー一族』で「割烹ひろみ」にいた謎の歌手として印象的でしょう。

割烹ひろみに来客したゲストの小芝居が一段落後に突然歌いはじめます。

『世迷い言』曲中の回文「ヨノナカバカナノヨ」のフレーズを来客したレギュラー陣やスペシャルゲストが合いの手を入れるものでした。



「日吉ミミ」の晩年

08年10月に「日吉ミミ」改名40周年記念として新曲『言の葉の夢』をリリースしています。

実に00年以来の8年ぶりの新譜となり、09年の40周年に向けて精力的なプロモーション活動を行いました。

しかしまさかの出来事が彼女を襲います。

それは膵臓癌の発覚でした。

06年に母、08年に妹が他界、はからずとも負のスパイラルに巻き込まれることになってしまいます。



「日吉ミミ」の死に様

2011年8月10日5時30分に永眠しています。

64歳没。

死因は09年に発覚した膵臓癌によるものでした。

「日吉ミミ」の死に様の信憑性

09年4月に行った膵臓癌の手術は一般的な膵臓癌手術よりも3時間ほど長くかかりました。

広範囲の郭清の必要性もしくは想像以上の浸潤があったと想像されます。

術後は二週間に1度の検査と抗がん剤投与で癌の再発に備えていました。

しかし膵臓癌の予後は悪い事で有名、5年生存率はわずか8%。

このため限られた時間を命ある限り諦めずに闘うことを決意。

10年5月にリリースされた『いのちのしずく』はそんな彼女の想いを乗せ「田久保真見」氏が作曲したものです。

膵臓癌の3年生存率は15%、その確率を越えた矢先の11年6月に体調不良から再入院。

歌手デビュー45周年まで既に1年を切り、記念曲の構想にも取りかかっていた事で復帰への強い意欲と決意を示していました。

しかし症状は悪化するばかりで、入院から2ヶ月も経たないうちに力尽きてしまうのでした。

まとめ

「日吉ミミ」氏は2011年8月10日5時30分に入院先の病院で亡くなりました。

64歳没。

死因は09年に発覚した膵臓癌によるものでした。

膵臓癌は予後が悪いこことで知られ、3年生存率は15%、5年生存率に至ってはその半分の8%になります。

抗がん剤投与と二週間に1度の検査を続け、術後3年生存に成功。

翌年のデビュー45周年に向け、明るい展望が見えていた矢先に体調を崩し、入院を余儀なくされています。

入院後も翌年に迫ったデビュー45周年記念曲、イベントについて強い意欲を燃やしていました。

しかし僅か2カ月も経たずに亡くなっています。

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