この記事では、野村克也の晩年や最期を分かりやすく説明します。
野村克也とは?
野村克也とは三冠王を達成したこともある野球選手で、南海ホークスやロッテオリオンズ、西武ライオンズで活躍しました。
本塁打王は9回、打点王にも7回獲得するなど、輝かしい成績を収めています。
ただし、現役時代は王貞治や長嶋茂雄といったスター選手の影に隠れがちでした。
野球選手を引退後は、ヤクルトスワローズや阪神タイガース、シダックス、東北楽天ゴールデンイーグルスなどで監督を歴任しています。
データを駆使したID野球が特徴です。
野村克也の晩年
野村克也は、2009年をもって東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を退任しました。
球団から契約を更新しないと告げられたからで、本人はまだ現場に未練があったようです。
野村は常々、自分から野球をとったら何も残らないと言っていました。
楽天から名誉監督就任を要請され、それを受けています。
2010年からは野球評論家や野球解説者として活動を始めました。
また、プライベートでは妻である野村佐知代とおしどり夫婦として知られていました。
出会った当時は妻子があり、佐知代にも夫がいたのでダブル不倫の関係でした。
その後妻とは離婚し、佐知代と再婚しました。
また、佐知代はトラブルメーカーでもあり、様々なスキャンダルを起こしています。
妻である佐知代の脱税事件が発覚し、監督を辞任させられたこともあります。
しかし、野村は妻をかばい続け、夫婦仲は晩年までずっと良好だったといいます。
2017年にには、愛する妻の佐知代が急死してしまいます。
野村は憔悴しきった様子でした。
野村克也の死に様
野村克也は2020年2月、虚血性心不全により亡くなります。
84歳でした。
入浴中に心不全を起こし、そのまま亡くなったと考えられています。
発見したのは家政婦で、浴槽でぐったりしているのを見て救急車を呼びました。
病院に搬送されますが、死亡が確認されています。
野村克也の死に様の信憑性
野村克也の死因である虚血性心不全は、心臓に血液が行きわたらなくなって酸素不足に陥るものです。
冬の浴室は寒暖差があるためヒートショックが起きやすく、それが原因となったと考えられます。
妻である佐知代の死因も虚血性心不全でした。
まとめ
野村克也は晩年、野球解説者や野球評論家として活動していました。
入浴中に虚血性心不全を起こし、84歳で亡くなっています。