この記事では、「向田邦子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「向田邦子」とは?
「向田邦子」とは、ラジオやテレビの脚本家として活躍した人物です。
雑誌の編集者を経て脚本を書くようになると、森繁久彌主演のテレビドラマ「七人の孫」などの作品で人気となりました。
代表作には、「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」等があります。
「時間ですよ」は森光子主演のホームドラマで、銭湯を舞台に1965年から1990年まで放送されました。
「寺内貫太郎一家」は平均視聴率が30%を超える大ヒットドラマです。
「向田邦子」の晩年
「向田邦子」はホームドラマの脚本家として有名で、人気のテレビドラマを数多く世に送り出しました。
晩年の作品として執筆したのが「阿修羅のごとく」で、NHKで放送されたテレビドラマです。
4姉妹の人間模様を描いており、映画化・舞台化もされた名作ドラマとして知られています。
また、晩年には作家として執筆活動も行っており、短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞を受賞しました。
「父の詫び状」というエッセイも1978年に発表しています。
子どもの頃の回想を中心としたエッセイで、雑誌「銀座百点」に2年間にわたって連載されました。
昭和の日本の家庭を見事に描いているとして高く評価されています。
「向田邦子」の死に様
「向田邦子」が亡くなったのは、1981年8月22日のことです。
台湾を旅行中に航空機事故に巻き込まれたためでした。
遠東航空103便墜落事故と呼ばれており、台湾の航空会社の飛行機が巡航中に空中分解して墜落した事故です。
乗員乗客110名全員が死亡した大事故でした。
享年51です。
「向田邦子」の死に様の信憑性
「向田邦子」が巻き込まれた航空機事故の原因は、塩害の影響により与圧隔壁が腐食していたこととされます。
それにより貨物室の外板が破壊され、空中分解したのです。
「向田邦子」は取材のために飛行機に乗ることが多かったのですが、飛行機は苦手としていました。
飛行機に乗る時は縁起を担ぎ、わざと家の中を片付けずに出発すると本人は語っています。
「向田邦子」の死のニュースは、衝撃を持って日本に伝えられました。
遺品はかごしま近代文学館に寄贈されています。
まとめ
「向田邦子」は晩年も脚本家としてテレビドラマの執筆活動を行っており、小説やエッセイも執筆していました。
亡くなる前年には直木賞も受賞しますが、飛行機事故に巻き込まれ51歳で命を落としました。