「お千代さん」という愛称で数多くのファンから親しまれていた島倉千代子は75歳で亡くなっています。
今回は、「東京だョおっ母さん」や「人生いろいろ」などのヒット曲で知られる彼女の死因に迫ります。
「島倉千代子」とは?簡単に説明
昭和13年に東京都品川区で生まれた島倉千代子は、演歌や歌謡曲の歌手として知られる人物で、「お千代さん」という愛称で多くのファンから愛されていました。
7歳当時、長野県松本市へ疎開していた島倉は、近くにある井戸から水を運んでいる最中に転倒してしまい、左手首からひじのあたりまで47針も縫うほどの負傷をしてしまいます。
この大怪我により、左手を動かすことができなくなってしまい、感覚も無くなってしまった島倉でしたが、懸命のリハビリの末に不自由ながらも少しずつ負傷した左手は動かすことができるようになっていきます。
その後、19歳の時にリリースした「東京だョおっ母さん」が150万枚のヒットを記録し、この曲はその後映画化されています。
48歳を迎えるまでの30年間に渡り、連続でNHK紅白歌合戦に出場していた島倉は、49歳で大ヒット曲「人生いろいろ」を発表し、日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞しています。
その後も音楽活動をつづけていた島倉でしたが、平成25年に肝臓がんにより75歳で永眠しています。
「島倉千代子」の死に様
平成25年11月8日、島倉千代子は肝臓がんにより75歳で亡くなっています。
死を迎える2日前、体調が優れなかったため自宅からスタッフ宛に自ら連絡を入れ、中目黒にある東京共済病院に再入院した島倉は、2日後の朝に容体が急変し、所属事務所の関係者に看取られながら永眠しています。
再入院する前日には、友人の歌手南こうせつ立ち合いの元、自宅にて記念曲である「からたちの小径」を録音していた島倉でしたが、翌日から体調を崩して入院した矢先の事でした。
自ら作曲を担当し、自宅での録音にも立ち会っていた南こうせつは、「彼女は体調が万全でない中、奇跡の歌声で3回も唄ってくれました」と語っています。
島倉は入院先の病院から南こうせつにレコーディング立ち合いのお礼で電話をかけ、その2日後には眠るように息を引き取っています。
「島倉千代子」の死に様の信憑性
平成22年、肝臓がんを発症した島倉千代子は、入退院をくり返しながら闘病生活を送り、多くの関係者にも伝えずに3度にもおよぶ肝動脈塞栓術を受けています。
3年後にはこれらの腫瘍が肝硬変に至っていましたが、自身の75歳の誕生日とコロムビアレコードの100周年を記念した「コロムビア大行進2013」というイベントに出演して大観衆の前で元気な歌声を披露しています。
この時期、自身のデビュー60周年に向けて、復帰を目指して闘病を続けていましたが、体調の悪化により再入院することを余儀なくされ、入院2日後に死亡しています。
島倉は自身の死を予期していたかの如く、自身の記念曲の録音が完了した後、関係者に宛ててメッセージを残しています。
「自分の人生の最後に歌を歌えて本当に幸せです。
素晴らしい時間をありがとうございました」という涙ながらの最期のメッセージは、彼女の告別式で流され、数多くの人たちの涙を誘ったと言います。
「島倉千代子」の小ネタ等
55歳の時に初期の乳がんに罹患したことを公表した島倉千代子は、69歳の時に事務所の関係者に多額の資産を奪われ、借金返済に奔走する日々を送るようになるなど、晩年は心身ともに身を削る日々を送っていましたが、59年間におよぶ自身の歌手生活において、ステージでは1度たりとも口パクはしなかったそうです。
まとめ
「東京だョおっ母さん」や「人生いろいろ」などのヒット曲で多くの人を楽しませてきた島倉千代子は75歳で死亡しています。
「お千代さん」という愛称で幅広い年代のファンから愛されてきた彼女の残した功績は、現在の歌謡界でも燦然と輝き続けています。