東映ヒーローのおやっさんともいえる「平山亨」その晩年と最期を解説。
「平山亨」とは?簡単に説明
1960年代後半から1980年代中盤にかけてのテレビ番組で彼の名前を見ない日はないと言われるほどの実績を残したのが「平山亨」だと言っていいでしょう。
また彼のペンネームである「八手三郎」は「渡辺岳夫」氏の興した「あんだんて」と共に視聴者にインパクトを残しました。
「平山亨」の晩年
66歳の時に脳溢血で倒れたものの古稀を迎えても精力的な活動を続け、専門学校等で講師を務め73歳にして『株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァー』の取締役に就任しています。
傘寿を越えて肺炎で長期入院をしたのをきっかけに闘病生活が始まり、2013年7月31日に心不全で亡くなりました。
「平山亨」の死に様の信憑性
大プロデューサーでもあり、亡くなられた当時のことは多くの方が悲しみにくれ自らのブログで故人との思い出を語っています。
2013年7月31日に亡くなられた後、8月4日に密葬が行われました。
『仮面ライダースーパー1』の主役「沖一也」役の「高杉俊介」氏から訃報の知らせが入り『仮面ライダーX』の「神敬介」こと「速水亮」氏が最期の別れを済ませてきたことをブログで記しています。
速水氏のブログでは平山氏が長年闘病生活をしてきた事が書かれています。
闘病生活が長くなり、体重も40キロを切ってしまいふくよかだった面影は全く見られなかったと印象を話しました。
同年10月27日には『平山氏を偲ぶ会』が行われ、多くの人が参列。
初作品となった『悪魔くん』から始まった平山氏の作品群がダイジェストムービーが流され『仮面ライダーV3』の「宮内洋」氏が弔辞のしめを務めています。
「平山亨」の小ネタ等
多くの特撮番組のプロデューサーを務めたこともあり、多数の関連ムック本等で平山氏のエピソードは見ることができます。
横山光輝氏原作の『仮面の忍者赤影』そして石森章太郎氏原作の『仮面ライダー』こちらはともに実写版のプロデューサーを務めた平山氏の手腕で60年代と70年代を代表する特撮番組になったと言っていいでしょう。
特に撮影中の事故で入院した本郷猛役の藤岡弘、氏を降板させず、『柔道一直線』で面識のあった「佐々木剛」氏を2号ライダーとして抜擢したのは有名な逸話となっています。
亡くなる半年前に講談社から発売された『泣き虫プロデューサーの遺言状: TVヒーローと歩んだ50年』では多くの作品の回想とともに貴重な資料となりました。
出身者側からではなく制作者側視点からの各作品ごとの回想がきちんとされており、多くのヒーロームック本とは一線を画するものでした。
これが平山氏の本当の最後の仕事になっています。
まとめ
平山亨氏は東映ヒーローの父親と言っていい存在ですが、東映の嘱託勤務定年後も精力的な活動を続けました。
2013年7月31日に亡くなりましたが、8月4日の密葬には多くの関係者が訪れており、その様子はSNSで今も確認することができます。
生前は『がんばれ!ロボコン』の「ロボコン」ようにふくよかだった姿と表現する方がいますが、密葬の時は別人の様に痩せ、闘病生活はかなり苦しいものだったようです。