平日午前中のTBSを電波ジャックした男!?
「土居まさる」の散り際とは?
この記事では土居まさるの晩年と散り際を解説します。
「土居まさる」とは?簡単に説明
70年代後半から80年代前半において平日午前中のTBSラジオのワイド帯枠放送に始まり、TBSテレビ昼帯枠の『スーパーダイスQ』に終わる、電波ジャックを地で行く売れっ子パーソナリティが「土居まさる」氏だと言っていいでしょう。
文化放送局アナ時代の『セイ!ヤング』や長寿番組『象印クイズヒントでピント』も覚えている方も多いと思われます。
深夜放送での斬新なフレーズ、ポップな口調とは逆に、昼の時間帯では的確な進行を円滑に行う硬軟自在な司会者として広く親しまれていました。
「土居まさる」の晩年
『象印クイズ ヒントでピント』が終了したのは1994年。
テレビで見かける機会はテレビショッピングもしくはスペシャル番組の司会、ナレーターなどが主体となり、減少していたのは間違いありません。
一方でラジオでは自身の原点に帰るを掲げて『土居まさるのラヂオデイズ』を98年春からスタートさせています。
ニッポン放送の『オールナイトニッポン』とラジオ深夜放送の双頭時代を築くこととなった『セイ!ヤング』を彷彿させる番組内容と選曲で往年のファンを喜ばせています。
「土居まさる」の死に様
1999年1月18日の明け方に息を引き取りました。
58歳没。
死因は膵頭部癌によるものでした。
98年9月下旬体調不良で検査を受けた結果は末期の膵臓癌でした。
家族を介して告知を受け入れると、無駄な治療、延命措置は行わずに自宅で静養しつつ、最期の刻を待ったといいます。
「土居まさる」の死に様の信憑性
神奈川県川崎市の春秋苑にある土居氏の墓には友人の「小林一博」氏が1999年1月の『東京新聞』論説室への寄稿が石碑に刻まれています。
これにより告知から最期までの様子を知ることができるでしょう。
98年9月末の告知では既に膵臓癌の末期だったとされます。
家族から告知を受け、病の進行による激痛、死への恐怖、家族への愛情、未練に苦しむも、年賀状にはそれを乗り越えた境地が記されていました。
無駄な治療や延命措置を取らずに年末年始と東京都渋谷区の自宅での静養で最期の時間を過ごすことを選択。
最期の言葉として「素晴らしい、人生だった。ありがとう」と呟き、それから暫くして息を引き取った。
まとめ
「土居まさる」は1999年1月18日の明け方に永眠しています。
58歳没。
死因となったのは膵頭部癌でした。
告知を受け入れて以降は入退院を繰り返すも無駄な治療や延命措置は行わなかったそうです。
最期の言葉は「素晴らしい、人生だった。
ありがとう」でした。
土居氏の墓には友人の寄稿文が刻まれるとともに「木守柿、蔕を残して失せにけり」自筆の辞世の句も刻まれています。
これは亡くなる一ヶ月前の胸中を詠んだものとされます。