「笠置シヅ子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「笠置シヅ子」の死に際とは?日本の人物

美空ひばり、トータス松本に引き継がれた?東京ブギウギ。

この記事では「笠置シヅ子」の晩年と散り際について解説していきます。

「笠置シヅ子」とは?簡単に説明

敗戦下で国難の時を迎えていた日本国民を奮い立たせてくれたのが笠置シヅ子だと言っていいでしょう。

その明るい笑顔と歌声は多くの人に希望を与えました。

『東京ブギウギ』は敗戦から復興へと向かう日本を象徴する歌として、昭和を代表する一曲です。

三大都市圏ブギの『名古屋』『大阪』ブギもリリースしていますが、現在も頻繁に使われるのが導入部からアップテンポの『東京ブギウギ』です。

古くは美空ひばり氏、近年ではクリアアサヒのCMソングとしてトータス松本氏が歌っており、世代を越えて知られる名曲だと言っていいでしょう。



「笠置シヅ子」の晩年

歌手を引退したのは1957年と早期であり、笠置シズ子からシヅ子へと改名。

「高峰秀子」氏とのダブル主演であった『銀座カンカン娘』が代表作となった一方で、ユーモラスな“大阪のおばはん”的な枠役を演じていることも多く『アトミックのおぼん』でのヌーベル婆ちゃん、悲劇的なラブストーリー『愛と死をみつめて』でも存在感を見せています。

しかし70年代に入るとドラマ、銀幕から姿を消すことになりました。

日曜昼放送のTBS『家族そろって歌合戦』と最晩年の「カネヨ石鹸」の『カネヨン』のCM程度でしかテレビでその姿を見せることはなくなっていました。



「笠置シヅ子」の死に様

1985年3月30日に入院中の病院で永眠しています。

70歳没。

死因は卵巣癌によるもので晩年は2度の手術を経験するなど体調は芳しいものではありませんでした。

「笠置シヅ子」の死に様の信憑性

2023年1月現在では死に様について詳細に公表されていません。

しかし2023年後期のNHK連続テレビ小説で『ブギウギ』で彼女をモデルにしたドラマが放送されることで新たな事実が出てくる可能性はあります。

死後数年経過後に銀河テレビ小説で『わが歌ブギウギ』が放送されていますが、1947年『東京ブギウギ』で一躍スターダムにのし上がったところで終わっています。

かつてないほど歌に重きを置くとのことで、晩年が描かれる可能性は少ないかもしれません。

実際の晩年は81年に乳癌の切除手術を行うも、83年に卵巣に転移していた事が発覚。

手術で難局を乗り越えたもの、翌年にはこの卵巣癌が再発。

秋からは東京杉並区の立正佼成会佼成病院に入院。

入院から約半年後に3月末に力尽きてしまいました。

最期の言葉は服部良一氏の自伝ドラマで研ナオコ氏が自分を演じている姿を見て「日劇時代は楽しかったね」と呟いたと言われています。

85年に放送された『昭和ラプソディ』は『センチメンタル・ダイナ』『東京ブギウギ』『買い物ブギ』を研ナオコ氏が歌っているのは3月2日放送分の後編。

亡くなるまで1ヶ月ほどある事を考えると印象に残った言葉という意味での最期の言葉かもしれません。

まとめ

「笠置シヅ子」は1985年3月30日に杉並区の入院先で亡くなっています。

70歳没。

死因は卵巣癌でした。

原発は81年の乳癌。

83年に卵巣に転移が発覚し、切除手術を受けています。

しかし84年秋には再発。

約半年の入院生活の末に力尽きてしまいました。

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