この記事では、「山村美紗」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「山村美紗」とは?
「山村美紗」とは日本を代表する推理作家で、ミステリーの女王と呼ばれていました。
国語教師となった後に結婚し、退職して家庭に入りました。
その後、1974年に「マラッカの海に消えた」で作家としてデビューを果たします。
次々と推理小説を発表し、テレビドラマ化された作品も多くあります。
キャサリンシリーズや小菊シリーズ、江夏冬子シリーズなど数々の著作を残しています。
また、4人の子どもがありますが、1人は女優の山村紅葉です。
「山村美紗」の晩年
「山村美紗」は、晩年も精力的に執筆活動を行っていました。
作家としてデビューしたのは40代と遅咲きですが、その生涯では200冊以上の著作を残しています。
京都を舞台にした作品が多く、京都の料亭だった建物を買い取って自宅にしていました。
この時、作家の西村京太郎と共同で料亭を買取っており、山村家と西村家は渡り廊下でつながっていたといいます。
家族ぐるみで交流がありました。
娘の山村紅葉は女優として母の作品を中心に出演していましたが、西村京太郎原作のテレビドラマにも多数出演しています。
男女の仲を噂されたこともあったようですが、恋人というよりは親友といった間柄だったようです。
「山村美紗」の死に様
「山村美紗」は、1996年に帝国ホテルで亡くなります。
享年65でした。
帝国ホテルのスイートルームに滞在していましたが、小説を執筆するためだったといいます。
娘である山村紅葉と一緒に滞在していました。
執筆中に体調不良となり、医師が呼ばれましたが到着する前に亡くなります。
「山村美紗」の死に様の信憑性
「山村美紗」の死因は、心不全です。
ホテルで急死したこともあり警察にも通報されましたが、娘も一緒で医師も駆け付けていることから変死としては扱われませんでした。
「山村美紗」の死後、執筆中だった「在原業平殺人事件」と「龍野武者行列殺人事件」は交流が深かった西村京太郎が後を引き継いでいます。
また、プライベートはとてもミステリアスで、西村京太郎とは渡り廊下でつながったほぼ同居のような生活を送っていましたが、夫とは別居していたといいます。
葬儀の際に初めて夫を見たという編集者も多く、かなり驚かれたというエピソードも残されています。
まとめ
「山村美紗」は晩年も執筆活動を行っており、執筆中に心不全を起こして亡くなっています。
享年65でした。