「北大路魯山人」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「北大路魯山人」の死に際とは?日本の人物

「北大路魯山人(きたおおじろさんじん)」とは?

北大路魯山人の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「北大路魯山人」とは?簡単に説明

北大路魯山人は明治から昭和にかけて活躍した芸術家で、その分野は晩年まで篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家など多岐にわたっています。

38歳の時に会員制料亭「美食倶楽部」を発足、自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器も自ら創作しています。

さらに42歳の時には会員制高級料亭「星岡茶寮」を開店していますが、強引で傍若無人な性格も災いして10年勤めた「星岡茶寮」を解雇されています。

ちなみに漫画「美味しんぼ」の登場人物である海原雄山のモデルでもあります。



「北大路魯山人」の晩年

魯山人が本気で取り組んだ「星岡茶寮」は会員千人を超えるまでの盛況ぶりとなりますが、魯山人の放漫経営の責任追及と、強引なやり方による不満分子のクーデターによって、「星岡茶寮」を追放されます。

追放後は星岡窯にこもって陶芸家として活躍し、1951年、68歳の時にフランスで開催された「現代日本陶芸展」に陶器を出品し、ピカソに注目されます。

その後、71歳になった時にアメリカ・ヨーロッパ各地を旅行して展覧会や講演会を行ない、この頃にピカソやシャガールとも親しくなっています。

さらに72歳の時には重要無形文化財・人間国宝に推奨されるも辞退しています。



「北大路魯山人」の死に様

1959年(昭和34年)の10月、京都美術倶楽部「魯山人書道芸術個展」を開催した後、魯山人は自宅で発病します。

11月に横浜市内の横浜医科大学病院に入院しますが、12月21日に帰らぬ人となります。

享年76。

前立腺肥大症や胃潰瘍で入退院を繰り返した後の肝臓ジストマによる肝硬変が死因と言われています。

肝硬変の原因となった肝臓ジストマとは現在では「肝吸虫」と呼ばれる寄生虫の一種で、これが体内に入りこんで肝硬変を生じ、死に至ったものです。

「北大路魯山人」の死に様の信憑性

病院で亡くなっているため死因の肝硬変はまず間違いないでしょう。

ただし、肝硬変の原因となった肝臓ジストマ(肝吸虫)の感染経路には疑問が残っています。

伝記小説などで魯山人はタニシを好んで食べたとあるため、一般的には「生煮えのタニシを好んで食べたため、肝吸虫の感染を受けて肝硬変になった」と言われています。

しかし、肝吸虫の中間宿主となる小さなタニシは食用に適しておらず、美食家の魯山人が食べるわけないと主張する人もいます。

よって、感染経路は二次宿主になる鮎やフナ、タナゴなどの淡水魚の刺身を食べたためではないかという説もあります。

まとめ

美食家・魯山人の死因の根本原因が寄生虫の宿主を食べたことによるものだとは、何とも皮肉なことでしょうか。

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