「江利チエミ」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「江利チエミ」の死に際とは?日本の人物

「三人娘」のひとり江利チエミの死因とは?

「江利チエミ」とは?簡単に説明

後に少女歌手「江利チエミ」として国民的人気を博すことになる久保智恵美(くぼちえみ)は、昭和12年に現在の東京都台東区で生まれました。

クラリネット奏者である父と、女優である谷崎歳子を母とするチエミは、生活を支えるために12歳ごろから芸能活動を始め、父がマネージャーとして、長兄は付き人として彼女を支えていました。

当初は進駐軍キャンプなどを回りながら外国人たちを相手に歌う仕事をこなしていたチエミは、昭和27年に15歳でレコードデビューを果たすと、その後はアメリカでもヒットチャートにランキングされるほどの活躍で順調に歌手の道を歩み始めます。

そしてその後、自身と同年生まれの美空ひばりと雪村いづみと共に「三人娘」を結成したことで、その人気にさらに拍車がかかり、人気絶頂だった昭和34年には俳優高倉健と結婚することになります。

3年後、チエミは妊娠しますが、同時に重度の妊娠高血圧症候群を発症してしまったことで、中絶を余儀なくされ、その後も高倉健との間に子宝は恵まれませんでした。

さらにそこから異父姉との長期間にわたるトラブルや最愛の相手との離婚などを経て、昭和57年に港区高輪の自宅マンションで、うつ伏せの状態で倒れているところをマネージャーに発見されたチエミは45歳という若さで死亡が確認されています。



「江利チエミ」の死に様

昭和57年2月13日、江利チエミは港区高輪にある自宅マンションの寝室で、自身が使っているベッドの上でうつ伏せに倒れたまま亡くなっているのを当時のマネージャーに発見されています。

発見された時には既に呼吸をしておらず、心音も停止状態で、彼女の口の周りには吐瀉物を吐いた形跡が見られたと言います。

その後の正式な鑑定でも誤嚥による窒息死だったという結果が公表されており、死因は脳卒中が原因で吐瀉物が気管に詰まって窒息したためという内容でした。

彼女は死の数日前から風邪を患っていたという関係者の証言があります。

チエミはその日、体調が優れない弱った身体にもかかわらず、当時好んでよく飲んでいたウイスキーの牛乳割りで風邪薬をのどに流し込み、さらに暖房をつけっぱなしのまま寝入ってしまったことが、死を招いてしまった一因とも言われています。



「江利チエミ」の死に様の信憑性

人気絶頂期だった江利チエミは、複雑な事情から実の母親と生き別れになって暮らしていた異父姉と称する女性とある日出会うことになります。

この異父姉である女性は、自身が離婚して経済的に困窮していると騙って家政婦兼付き人としてチエミに近づいて家に入り込み、身の回りの世話をし始めますが、後に嫉妬心に駆られて数々の犯罪的な行動を展開していきます。

異父姉は夫である高倉健とチエミについてでっちあげの誹謗中傷を所かまわず吹聴し始め、いつしか別居にまで追い込まれた夫婦は、ついには離婚へ向かっていくという結果になってしまいました。

さらに異父姉は実印を使ってチエミの銀行預金を使い込んだり、高利貸しから多額の借金をして、不動産までも勝手に抵当に入れるなどの暴挙を働きます。

同情心から異父姉を受け入れたチエミでしたが、断腸の思いで告訴に踏み切り、最終的には2~4億円もの借金をたった1人で完済していくことを決意したのでした。

そのため、借金返済のための耐え難い苦しい生活により、チエミの酒量は少しずつ増えていくことになり、晩年にはお酒を離せない生活へとなっていったそうです。

「江利チエミ」の小ネタ等

有名歌手であり、テレビスターでもあった江利チエミのキャリアは大変順調なものでしたが、私生活の面では、3人の愛する兄が自身の存命中に2人も亡くなり、また子宝に恵まれなかったこともあって大変かわいがっていた甥を電車事故で失うなど、立て続けに不運に見舞われていました。

それだけではなく、昭和43年にはポリープにより声帯を手術、昭和45年には自宅を火災で焼失、昭和47年には日本航空351便ハイジャック事件に乗客として遭遇するなど、不運が不運を呼んだ人生と言っても過言ではなかったようです。

まとめ

華やかなスター街道をまい進していた江利チエミにも、まばゆい光と真っ黒い影が交差していたようです。

多くの国民を元気づけた「三人娘」としての輝きはいつまでも色褪せず、多くのファンの心に生き続けることでしょう。

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