「小林すすむ(こばやしすすむ)」とは?
小林すすむの晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「小林すすむ」とは?簡単に説明
小林すすむは1979年に島崎俊郎、川上泰生とともにお笑いユニット「ヒップアップ」を結成し、漫才ブームの波にも乗って人気を博し、レギュラー主演する番組も増えていきます。
1990年代以降は「踊る大捜査線」シリーズの中西修役が当たり役となり、名脇役としての地位を確立していきました。
「小林すすむ」の晩年
小林の体に異変が起こったのが、2011年末のことでした。
食欲が減ったとよく言うようになり、夫婦で行きつけのお好み焼き屋でいつも食べていたお好み焼き1枚が半分しか食べられなくなっていたのです。
大好きなお酒も「しんどい」「つらい」と言って控えていました。
その後もすぐれない体をおして2012年9月公開予定の「踊る大走査線THE FINAL 新たなる希望」の撮影に臨みます。
同年2月にクランクアップすると、すぐに病院で検査を受けるも、すでに手遅れでした。
医師からは「余命2~3週間」の告知を受けるのです。
子宝には恵まれなかったけれど、おしどり夫婦で有名だった妻の昭子は悲しみと絶望の中、献身的に小林を支え続けます。
また、余命告知を受けながらも周囲に迷惑をかけたくないと主張する小林の言葉に従い、誰にも病気のことを伝えなかったそうです。
「小林すすむ」の死に様
小林はすでに末期がんだったため、昭子夫人は2人で少しでも長く過ごせるようにと自宅療養に切り替えます。
しかし、体調は悪くなる一方で、再び緊急入院せざるを得ない状態になります。
そして、愛犬の世話のために自宅に戻っていた昭子夫人の元に小林から戻て来てほしいとの電話が入り、急いで愛犬を連れて病院に戻るもすでに小林は意識を失っていました。
2012年5月16日午後9時ころ、小林は危篤状態になり、意識が戻らないまま同日22時45分にスキルス性胃がんと肝硬変のため、東京都三鷹市の病院で昭子夫人と愛犬に看取られる中、亡くなります。
まだ58歳でした。
病をおして撮影に挑んだ「踊る大捜査線シリーズ」最新作が小林の遺作となりました。
「小林すすむ」の死に様の信憑性
病院に入院中の逝去につき、死に様の信憑性は確かでしょう。
病気のことは誰にも知らせなかった小林ですが、唯一病気のことを知っていた山田邦子がみんなに知らせたことで、最後の1週間はひょうきん族仲間や花より男子の出演者が見舞いに来ており、のちにその様子についてインタビューで語っています。
また、「コント赤信号」のラサール石井は同月17日朝、いち早く小林の訃報をツイッターで伝えています。
まとめ
小林すすむの人柄がよくにじみ出た役どころが似合う、味のある俳優さんでした。
元気であれば、まだまだ名脇役として活躍できたと思います。