ギラギラ太陽が~『涙の太陽』はスマッシュヒットした「安西マリア」の散り際とは?
この記事では安西マリアの晩年と最期について解説します。
「安西マリア」とは?簡単に説明
1973年に19歳で歌手デビューし、エミー・ジャクソンが歌い、1965年にヒットした『涙の太陽』をカバー。
50万枚のヒットになりました。
レコード大賞最優秀新人賞こそ「桜田淳子」の『わたしの青い鳥』に譲りますが、この年の新人では80万枚を売り上げ大ヒットとなった『赤い風船』の浅田美代子に続くレコードセールスを記録しています。
その後事務所とのトラブルで引退、ハワイに移住しますが、2000年代に入り芸能活動を再開し、かつてのファンを喜ばせました。
「安西マリア」の晩年
90年に夫の女性問題で離婚しますが、試練を彼女を襲います。
息子は知的障害を抱えており、自活できず要介護が必要なところへ、実母が認知症にかかってしまうのでした。
これにより彼女自身も精神的に追い詰められ、うつ病を発症してしまいます。
六本木のライブハウスを中心にステージ活動を再開したのを皮切りに芸能活動を復帰。
2012年、13年にはヘアヌード写真集を発売。
テレビではうつ病を告白するなど多方面で積極的に活動していました。
「安西マリア」の死に様
2014年3月15日に急性心不全のため永眠。
60歳没。
同年2月20日20時頃に自宅で胸の痛みを訴え、自身で119番通報し緊急搬送されています。
集中治療室で治療を受けるも心肺停止が一時間余り。
AEDにより心臓は再鼓動し始めるも脳死状態に陥ってしまうのでした。
「安西マリア」の死に様の信憑性
所属事務所から段階的に経過が話されており、彼女の容態についての信憑性は高いと思われます。
20日に倒れ、心肺停止になった後、AEDで心臓が鼓動を再開したこと、低温療法や冠動脈の血行を再建するなどの処置についても具体的に書かれています。
3月8日にマスメディアに流れた記事では、母が既に施設に入所、叔父も高齢であることから、延命措置をしていないことが明かされました。
人工呼吸器を断腸の思いで取り外したのは6日のこと。
自発呼吸も安定し、小康状態が続いていることも、8日の発表では知ることができます。
延命措置をやめてから、10日で亡くなっています。
まとめ
「安西マリア」は2014年3月15日に永眠しています。
60歳没。
死因は急性心不全でした。
同年2月20日夜に胸の痛みを訴えて自身で119番通報し、緊急搬送。
AEDにより蘇生するも1時間に渡り、心肺停止していたダメージは大きく脳死状態に陥りました。
入院してから二週間経った3月6日に延命措置をやめることを叔父とマネージャーが決断。
人工呼吸器を取り外しました。
自発呼吸は安定していたと言われますが、10日後に力尽きています。
60歳にしてヘアヌード写真集を出すなど、知的障害を持つとされる息子さんの為に尽力した晩年だったと思われます。