若山組幹部、格闘家、ホタテマン「安岡力也」の散り際とは?
この記事では安岡力也の晩年と最期について解説します。
「安岡力也」とは?簡単に説明
若山富三郎の若頭的存在、山城新伍や梅宮辰夫の弟分と言葉にするだけで強面の印象があるのが「安岡力也」でしょう。
185センチの体格、父系はシチリアンマフィア、キックボクサー、グループサウンズ『シャープ・ホークス』で活躍するなど多彩な経歴を持ちます。
映画やVシネでの極道役が当たり役で知られる一方、バラエティ番組にも多々出演しており、なかでも『俺たちひょうきん族』で『ホタテマン』に扮し『ホタテのロックンロール』を歌ったのはもはや伝説だと言っていいでしょう。
「安岡力也」の晩年
晩年は若山組の親分であった若山富三郎氏同様に闘病生活に逐われる日々でした。
2002年にC型肝硬変を発症したのを皮切りに肝臓は悪化の一途を辿ります。
05年に多発性肝膿胞、06年には難病のギランバレー症候群に罹患。
懸命のリハビリを続け、2010年初夏に復帰するも、わずか数ヶ月後には肝細胞癌が発覚してしまいました。
長男の「安岡力斗」氏から肝臓の2/3提供のもと生体肝移植手術を実施し成功。
闘病生活は一部写真公開されるとともに、療養の傍らに東京スポーツで自身の回顧録『息子へ』を連載。
赤裸々に自身の過去を告白しています。
「安岡力也」の死に様
2012年4月8日6時1分に永眠しています。
64歳没。
死因は心不全と発表されました。
生体肝移植自体は成功したもの、癌が肺に転移しており、11年12月には余命1年の宣告を受けていたと言います。
「安岡力也」の死に様の信憑性
スポーツ新聞各社がその死を大きく報道しており、一連の闘病生活の信憑性は高いと言えるでしょう。
癌が肺に転移した事による余命宣告は、芸能界復帰を熱望する力也氏の気力を奪うと判断され、告知はされませんでした。
4月6日に一時危篤状態に陥るも生還した時の逸話は大きく取り上げられ、その言葉がスポーツ各紙の見出しとなりました。
「オレは負けたよ」という言葉で、力斗氏が最初で最後に聞いた父の弱音だったと言います。
14年10月10日には力斗氏が『ホタテのお父さん』を東京キララ社から出版。
ギランバレー症候群罹患以降の闘病生活を垣間見ることができるでしょう。
まとめ
「安岡力也」は2012年4月8日6時1分に心不全でこの世を去っています。
64歳没。
死因は心不全によるものでした。
02年のC型肝硬変から始まった闘病生活はほぼ10年に渡っています。
力斗氏が提供した肝臓は64%。
手術自体は成功したもの癌は肺にまで転移しており、11年12月の診断で余命1年の宣告がされていました。