「安倍晋太郎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「安倍晋太郎」の死に際とは?日本の人物

この記事では、「安倍晋太郎」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。

「安倍晋太郎(あべ しんたろう)」とは?簡単に説明

「安倍晋太郎」とは、国務大臣や自由民主党幹事長などを歴任した政治家です。

元内閣総理大臣の「安倍晋三」を次男に持ち、同じく元内閣総理大臣の「岸信介」を義父に持ちます。

「政界のプリンス」という異名のほか、次期総理大臣を嘱望されながらも病没したことから「悲運のプリンス」と称されたり、絶妙なバランス感覚やリーダーとしての才に恵まれながらも人として甘さがあることから「プリンスメロン」とも称されています。

毎日新聞社へ勤務した後、義父「岸信介」の入閣がきっかけで政界へと足を踏み入れました。



「安倍晋太郎」の晩年と最期

1989年(平成元年)5月に膵臓癌による手術を受け、膵臓から十二指腸、胃の一部までを摘出し、 同年7月に退院しました。

1990年(平成2年)の1月にソビエト連邦を訪問、6月にはアメリカを訪問しますが、8月ごろから病状が進行し、9月に入院することになります。

同月に一度退院しますが、再入院となり、この時に次男「晋三」から癌であることを告げられたそうです。

そして、1991年(平成3年)5月15日、入院先の病院にて死去します。

享年67歳でした。



「安倍晋太郎」の死に様の信憑性

死没日の前月である4月に当時来日していたソビエト連邦初代大統領「ミハイル・ゴルバチョフ」を歓迎する会食に出席しており、これが事実上「安倍晋太郎」最後の政治活動となりました。

「安倍晋太郎」の墓所は出身県である山口県の長門市油谷「長安寺」のほか、静岡県駿東郡小山町「富士霊園」にあります。

「安倍晋太郎」と「リクルート事件」

1988年(昭和63年)に戦後最大の企業犯罪とも言われる汚職事件「リクルート事件」が起こり、「安倍晋太郎」の秘書がリクルートコスモスから非公開株を譲渡されていたことが発覚します。

翌年の4月、「安倍晋太郎」は総胆管結石の治療のためとして入院しますが、一部では「リクルート事件」のほとぼりが冷めるまでの避難とも見られていたそうです。

まとめ

「安倍晋太郎」「政界のプリンス」「悲運のプリンス」などとも称される政治家であり、元内閣総理大臣を務めた「安倍晋三」の実父でもあります。

晩年は癌に体を侵され、手術などを受けるも、1991年(平成3年)5月15日、67歳で息を引き取りました。

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