「天知茂(あまちしげる)」とは?
天知茂の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「天知茂」とは?簡単に説明
天知茂は日本の俳優、歌手です。
愛知県名古屋市出身の天知茂の名は芸名で、ファンだった中日ドラゴンズを日本一に導いた天知俊一監督と杉下茂投手の名前が由来です。
ちょい役ばかりが続く時代が長く続きますが、1959年の「東京四谷怪談」で主演を務めてからは注目されるようになります。
その後も個性的な演技で頭角をあらわし、1968年に出演した舞台「黒蜥蜴」で演じた名探偵・明智小五郎役は当たり役となりました。
「天知茂」の晩年
1959年の「東京四谷怪談」で主演を務めて注目されてからは順調に主演作品や準主役級で次々と色々な作品に出演しています。
俳優としての立ち位置もニヒルな渋さが漂う個性派俳優としてハードボイルドの代表的スターの座を獲得します。
また、舞台「黒蜥蜴」で好評だった明智小五郎役は土曜ワイド劇場でドラマ放映され、人気シリーズとなります。
さらに「非常のライセンス」では主題歌として歌った「昭和ブルース」もヒットします。
亡くなる直前、当たり役の明智小五郎役で出演していた「江戸川乱歩の美女シリーズ」が25作を数え、新しい映画製作も進めていた矢先に天知はくも膜下出血で倒れるのでした。
「天知茂」の死に様
1985年(昭和60年)7月27日に渋谷区の日本赤十字社医療センターで亡くなります。
死因はくも膜下出血で、享年55歳。
没した直後には明智小五郎シリーズの第25作「黒真珠の美女」が追悼放映されています。
なお、天知には俳優の息子とオルガニスト兼作曲家の娘がいましたが、娘ものちにくも膜下出血で亡くなっています。
「天知茂」の死に様の信憑性
治療を受けていた日本赤十字社医療センターで亡くなっていることから、天知茂の死に様の信憑性は高いと言えます。
また、かつて天知の付き人だった俳優の奥田瑛二がくも膜下出血で倒れた天知が日赤の集中治療室に入っていることを聞いて日赤に駆け付けています。
しかし、天知はすでに意識がなく、無言の別れとなったと週刊誌のインタビューに答えています。
まとめ
名探偵・明智小五郎と言えば天知茂しかいないともいえるほどの当たり役だったため、54歳(享年55)というあまりにも若すぎる死は残念でしょうがありません。
天知茂を知ったのはすでに大スターになっていた頃だったため、あらためて彼の足跡を調べて見ると、若いころは苦労していることが分かり意外でした。