この記事では、「松山英太郎」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「松山英太郎」とは?
松山英太郎は前進座の代表を務める5代目河原崎国太郎を父に持ち、母も宝塚女優という芸能一家に生まれた俳優です。
5歳の時に前進座で初舞台を踏みました。
子役として「ひろしま」等の映画にも出演します。
俳優座養成所を経て1964年にテレビドラマ「七人の孫」に出演すると、大人気となりました。
舞台やテレビドラマを中心に活躍し、代表作には「時間ですよ」や「肝っ玉かあさん」「大岡越前」「江戸を斬る」等があります。
「松山英太郎」の晩年
松山英太郎は晩年、時代劇ドラマで活躍していました。
加藤剛が主演する「大岡越前」では、猿(ましら)の三次という役を演じています。
主人公を手助けする密偵役で、松山英太郎のはまり役でした。
「大岡越前」以外でも密偵役を演じています。
西郷輝彦主演の「江戸を斬る」では鼠小僧と呼ばれる次郎吉を演じていますし、「梓右近隠密帖」でも葵小僧を演じました。
人気時代劇の「水戸黄門」にも度々ゲスト出演しています。
撮影の現場ではとても面倒見が良く、後輩からも慕われていたといいます。
プライベートでは、俳優である芦田伸介の娘と結婚し2人の子どもに恵まれますが離婚しています。
その後、多くの女性と浮名を流しましたが再婚することはありませんでした。
「松山英太郎」の死に様
松山英太郎は、1990年9月に体調不良で入院します。
東京宝塚劇場で行われている公演の最中でした。
精密検査を受け、食道がんと診断されます。
闘病生活を送ることになりました。
入院した翌月には父である5代目河原崎国太郎が亡くなりますが、葬儀に出席することはできませんでした。
そして1991年の1月に容体が悪化して亡くなります。
享年48でした。
「松山英太郎」の死に様の信憑性
松山英太郎の死因は食道がんですが、判明した時には既に末期の状態だったといいます。
本人に告知は行われず、食道潰瘍と伝えられます。
食道がんであることは松山英太郎の弟など限られた人にしか知らされませんでした。
また、父親が亡くなった時は腫瘍を取る手術を終えたばかりだったため、しばらく経ってから父親の死を告げられたといいます。
手術では腫瘍を全て取り除くことはできず、肺などにも転移していました。
まとめ
松山英太郎は時代劇を中心に活躍していましたが、食道がんにより亡くなります。
享年48です。