「大滝詠一」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「大滝詠一」の死に際とは?日本の人物

この記事では、「大滝詠一」の晩年や最期を分かりやすく説明します。

「大滝詠一」とは?

「大滝詠一」とはロックバンド「はっぴいえんど」の結成メンバーの1人で、ボーカル&ギターとして活躍しました。

解散した後はソロ活動を行い、自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設します。

1981年にはソロアルバム「A LONG VACATION」をリリースし、日本レコード大賞ベストアルバム賞を受賞しました。

また、西城秀樹や松田聖子、森進一、小林旭など数々のミュージシャンに楽曲を提供し、音楽プロデュースを行っています。



「大滝詠一」の晩年

「大滝詠一」は晩年、旧譜のリマスタリングやラジオ番組の音源復刻監修などを行っていました。

音楽機器が発達したこともあり、昔の音源もクオリティの高い音楽に再生することができるのです。

こういった作業は10年にも及んでおり、2005年からナイアガラの旧譜の30周年アニバーサリー盤を次々と発表していきました。

そして、最終作として取り組んでいたのが「EACH TIME」です。

「EACH TIME」は2014年3月に発表することを予定していました。

その制作に精力的に取り組んでいたといいます。



「大滝詠一」の死に様

「大滝詠一」は2013年の12月30日、東京都西多摩郡にある自宅で倒れてしまいます。

リンゴを食べている時に突然倒れ、家族が救急車を呼びますがそのまま亡くなりました。

享年65です。

「大滝詠一」の死に様の信憑性

「大滝詠一」の死因は、解離性動脈瘤でした。

動脈瘤が破裂したことで亡くなったのです。

倒れた時にちょうどリンゴを食べているところだったので、家族はリンゴを喉に詰まらせたと救急車を呼ぶ際に伝えていました。

また、妻は看護師だったため救急隊員が到着する間、ずっと心臓マッサージをしていました。

しかし、救急隊員が到着する頃には既に心肺停止の状態だったとされます。

そのまま意識を取り戻すことなく、病院で死亡が確認されました。

「大滝詠一」は最期に、「ママありがとう」と妻に伝えていたといいます。

翌年、「大滝詠一」が手掛けていた「EACH TIME」の発売日に合わせ、お別れの会が執り行われました。

その後、本人が生前構想を語っていたベストアルバム「Best Always」も発売されています。

まとめ

「大滝詠一」は晩年も音楽活動に取り組んでいましたが、自宅で突然倒れ帰らぬ人となります。

死因は解離性動脈瘤でした。

享年65です。

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