この記事では、「大平シロー」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「大平シロー」とは?
大平シローとは、漫才コンビの大平サブロー・シローとして活躍したお笑い芸人です。
松竹芸能の養成所で知り合った大平サブローとコンビを組み、1976年に新世界新花月で漫才師としてデビューしました。
その後、吉本興業に移籍し、漫才ブームに乗って人気となります。
テンポの速い独特の漫才のスタイルでした。
また、ものまねを得意としており、ものまね漫才というジャンルを確立します。
しかし、吉本興業から独立し1992年にコンビを解散しました。
「大平シロー」の晩年
大平シローはコンビを解消後、1999年に吉本興業に復帰しました。
晩年は放送作家やピン芸人として活動しています。
大平マサヒコとコンビを組んだこともありましたが、短期間で解消しています。
相方である大平サブローとは喧嘩別れのような形でコンビを解消していたため、関係はあまり良くなかったといいます。
しかし、晩年には関係が修復され、コンビを復活する話も出ていました。
また、大平かつみや小米良啓太、チュチュといった弟子もいます。
それから居酒屋やバーといった飲食店の経営も行うなどタレント以外の活動もしていました。
次第に飲食店の仕事の方がメインになっていき、お店で働くことが多くなっていったといいます。
たこ焼き店もオープンしていて、自らたこ焼きを焼くこともあったようです。
たこ焼きを焼いていても、漫才師の大平シローだと気づかれませんでした。
「大平シロー」の死に様
大平シローは、2012年の2月に大阪にある事務所で倒れてしまいました。
救急車で病院に搬送され、一命はとりとめましたがそのまま意識不明の状態が続きます。
そして、倒れてから5日後に家族や弟子に見守られながら亡くなりました。
享年55です。
「大平シロー」の死に様の信憑性
大平シローの死因は、難治性心室細動とされています。
難治性心室細動とは、心臓の心室が小刻みに震えて血液を全身に送り出すことができない状態です。
大平シローは倒れてからずっと意識不明の状態で、そのまま目覚めることなく亡くなっています。
大平シローの死により、大平サブロー・シローが復活することはありませんでした。
まとめ
大平シローは晩年、タレントや放送作家として活動していましたが、飲食店の経営に力を入れるようになります。
55歳の時に倒れ、そのまま亡くなりました。