この記事では、マッスル北村の晩年や最期について紹介します。
マッスル北村とは?
マッスル北村とは、伝説的なボディビルダーとして知られる人物です。
東京大学に在籍時、ボディビル&ウェイトリフティング部の先輩に誘われ関東学生選手権に出場したことがきっかけでボディビルに目覚めます。
大学には通わず、トレーニングに明け暮れました。
2年後、関東学生選手権で優勝します。
そして、1985年にアジア選手権に出場し、ライトヘビー級の照合を獲得しました。
タレントとしても活動を始め、海外コンテストにも出場するようになります。
マッスル北村の晩年
マッスル北村は1999年に、ボディビルの本場であるアメリカのカリフォルニアで開催されたNPCトーナメント・オブ・チャンピオンズに参加しました。
そこで3位に入ります。
NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズはアマチュアコンテストですが、大柄な外国人が沢山いる中でアジア人が重量級の3位に入るというのは前例が全くありませんでした。
快挙といってもいい出来事だったのです。
マッスル北村はその後もトレーニングに力を入れ、アメリカで自分の力を試したいと意気込んでいました。
マッスル北村の死に様
NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズで3位に入った翌年、マッスル北村は今度は優勝するべくトレーニングに励んでいました。
前の年よりもはるかに筋力はアップしており、終盤の調整も上手く行っていました。
しかし、過酷な減量のために低血糖に陥り、合併症による心不全で亡くなってしまいます。
享年39でした。
マッスル北村の死に様の信憑性
マッスル北村の死因は、餓死という噂が流れています。
実際には異常な低血糖によって引き起こされた心不全が原因です。
炭水化物を抜いて、オリーブオイルなどの質の良い油をエネルギーとする減量方法を実践していました。
しかし、トレーニングによって消費する栄養の方が多く、低血糖状態に陥ったと考えられます。
亡くなる数日前にも、トレーニング中に倒れて病院に運ばれたこともあったといいます。
家族が具合が悪くなったら飴をなめるように言っていたようですが、その飴のカロリーさえ取りたくないと本人が断ったといいます。
厳密には餓死ではありませんが、それに近い状態であったとはいえるかもしれません。
まとめ
マッスル北村はボディビルダーとして過酷なトレーニングを実践しており、低血糖による心不全によって39歳で亡くなりました。