この記事では、「中村天風」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「中村天風」とは?
中村天風とは日本の思想家で、天風会を作った人物として知られています。
実業家として成功を収めますが、自らの人生経験や悟りを伝えるための講演活動を行っていました。
中村天風の影響を受けた人は数多く、経営の神様と呼ばれた松下幸之助や内閣総理大臣を務めた原敬、作家の宇野千代等が挙げられます。
最近ではメジャーリーガーの大谷翔平も中村天風の影響を受けたと話題になりました。
その人生哲学は、様々な分野の著名人に影響を与えています。
「中村天風」の晩年
中村天風は晩年、講演家として活動を行っていました。
東京実業貯蓄銀行の頭取を務めたり、大日本製粉の重役を務めるなど実業界で成功していましたが、ある時仕事を辞め財産も処分してしまいます。
戦後の恐慌によって困窮する人々を目の当たりにし、自らの体験を伝えていくべきだと感じたからです。
中村天風が43歳の頃のことで、それ以降は自らが会得した人生哲学や心身統一法を伝える活動を亡くなるまで続けていくことになります。
統一医学会を設立し、それが後に天風会となりました。
天風会には政界や財界の著名人が多数入会しています。
「中村天風」の死に様
中村天風が亡くなったのは、1968年12月1日のことです。
享年92でした。
死因は肺がんで、若い頃には結核にかかったこともありました。
肺がんが末期になっても自宅で過ごすことを選び、穏やかなに過ごしていたといいます。
弟子に見守られながら安らかに亡くなったといわれています。
最後には「ありがとう」という言葉を残しています。
「中村天風」の死に様の信憑性
中村天風は晩年は肺がんを患いますが、92歳まで健康的な生活を送っていました。
心の状態が健康にも影響を及ぼすことに気付き、自然良能作用を活性化させることを説いていました。
健康や長寿は、医療などに頼るよりもまず心を変革するべきだと説いたのです。
92歳まで長生きし健康であったことから、自らの哲学を実践したといってもいいでしょう。
天風が実践した健康法は血をきれいにすることで、植物性の食べ物をよく噛んで食べることでした。
シンプルな食事を少量だけ摂るのが理想です。
まとめ
中村天風は晩年は講演家として活動を行っていました。
肺がんを患い92歳で亡くなりますが、自らの哲学を実践し亡くなる直前まで健康に過ごしていたようです。