お客様は神様です「三波春夫」の散り際とは?
この記事では三波春夫の晩年と散り際について解説していきます。
「三波春夫」とは?簡単に説明
「お客様は神様です」のフレーズを知っていても全盛期の人気を知っている方はもう少ないでしょう。
年輩の方でも「青島幸男」氏主演のドラマ「意地悪ばあさん」の万年さんを演じた息子「三波豊和」氏の方が記憶に残っているかもしれません。
日本を代表するスターとしての証は1964東京オリンピック、1970大阪日本万国博覧会、この2つの国家的イベントのテーマソングを歌ったこと。
特に後者の『世界の国からこんにちは』は140万枚の大ヒットとなりました。
「三波春夫」の晩年
新曲のリリース等は少なくなっていたもの三波春夫イコール歌謡曲を覆すかの様に、90年代黄金期を迎えたブラックミュージック、ソウル、レゲエ、ハウスなどは勿論バブル期の象徴ともいえるディスコサウンドにかつてのヒット曲をリメイクして、その表現力の豊かさを見せつけました。
往年のジュリアナ東京でのライブもその一端と言えるでしょう。
ソ連崩壊、戦後50年を迎えた90年代半ばからは自身のシベリア抑留体験談を積極的に語る役割を務めていました。
その根底にあるのはやはり自身の余命を考えていたからの様にも思えます。
「三波春夫」の死に様
2001年4月14日16時5分に永眠。
77歳没。
死因は前立腺がんでした。
1994年に告知され、既にその時にはある程度進行が進んでいたとされます。
手術はしないで抗がん剤治療をメインにした化学療法で7年間闘病生活を送っています。
「三波春夫」の死に様の信憑性
2001年当時のスポーツ紙の扱いとしては表1面+中2面+後2面を使い、昭和の国民的スターの訃報を記事にしたところがほとんどだといえるでしょう。
亡くなる前の3日間は昏睡状態に陥ったままでしたが、14日の14時頃に覚醒。
付き添いの夫人やマネージャーの長女に向けて言葉を遺したことが報道されています。
最期の言葉「ママ、ありがとう。
幸せでした」は各紙大きく掲載されることになりました。
7年間に渡る闘病生活ですが、手術を選択しなかった分QOLはこれほど長く維持できたのかもしれません。
しかし99年に入ると病の進行により、日常生活に影響が出るほど体力に問題が生じ、00年秋には歩行に杖が必要なほどに体力の衰えは顕著だったと言います。
まとめ
「三波春夫」氏は2001年4月14日16時5分、入院中の病院で永眠しています。
77歳没。
死因は1994年に告知された前立腺癌の進行によるものでした。
進行がんなれど7年間生存できたのは手術をせずに抗がん剤治療を含む化学療法で体力を温存できたからだと言っていいでしょう。
それでも最期の2年は体力の衰えは顕著なものがありました。
晩年は歌手としての活動だけでなく、戦争の語り部を担うなど多岐に渡って活躍しています。