「三波伸介(みなみしんすけ)」とは?
三波伸介の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「三波伸介」とは?簡単に説明
三波伸介は昭和期を代表するテレビスターの一人で、コメディアン、俳優、司会者、タレントなど多数の肩書きを持ちます。
三波が世に出るきっかけとなったのは、三波伸介、戸塚睦夫、伊東四郎の3人で結成したお笑いグループ「てんぷくトリオ」です。
1970年から日本テレビの長寿番組「笑点」の司会者として知名度を上げ、その後、NHK総合テレビ「お笑いオンステージ」やフジテレビ「夜のヒットスタジオ」「スターどっきり〔秘〕報告」などさまざまなバラエティ番組の司会者を務めています。
「三波伸介」の晩年
三波伸介が亡くなったのは、多くのレギュラー番組を抱え、大人気司会者として順風満帆のころでしたが、これでも50歳を過ぎてからテレビでの活動は減らす方向で動いていました。
しかし、それは舞台での活動に力を入れるためで、健康のためではなかったようです。
三波はかなりの肥満体だったこと、多い日でも3~5時間しか睡眠を取らなかったこと、タバコを1日最低でも3箱吸っていたことなどが知られており、それに加え超多忙な毎日で相当疲労とストレスが溜まっていたと想像されるため、これらが死因の原因のきっかけになったかも知れません。
「三波伸介」の死に様
1982年12月8日午後3時20分、新宿のデパートに買い物に出かけていた妻の和子と付き人の波蓮太郎が帰宅すると、パジャマ姿の夫・三波伸介が居間で倒れていました。
しかし、三波はふだんからふざけて家族の前で死んだフリをしていたので、和子夫人は「またか」と思い、声をかけようとしたところ、様子がおかしいことに気づき、救急車とホームドクターに電話をかけるのでした。
10分後、救急車が到着し、救急隊員によって心臓マッサージと酸素吸入が行なわれました。
ホームドクターが脈を取るもかすかで、直ちに東京医大病院に搬送されました。
けれども心臓の鼓動は戻らず、同日午後4時43分に死亡が確認されます。
死因は大動脈瘤破裂で、動脈硬化と慢性疲労が重なったことが原因とみられています。
52歳という早すぎる死でした。
なお、三波が亡くなった日は長男の伸一(現・二代目三波伸介)の大学受験最終日だったそうです。
「三波伸介」の死に様の信憑性
三波伸介は救急隊員によって救急処置を受け、病院に搬送されて死亡が確認されていることなどから死に様の信憑性は高いと思います。
のちに妻の和子が「すぐ救急車を呼んでいたら・・・」という自分に責任があるかのような意味深なコメントをしていますが、これに対して当時現場に一緒にいた長男は「母はすぐ救急車の手配をした」と自身のブログで母の責任を否定しています。
まとめ
三波伸介のギャグである「びっくりしたなぁ、もう!」と思わず言ってしまいそうな、まさに突然の死で当時衝撃が走ったのを鮮明に記憶しています。
それにしても52歳とは何とも悔やまれる若すぎる死ですね。