「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のメインボーカリストとして知られた三條正人は、74歳で永眠しています。
今回はその死因について詳しく解説していきます。
「三条正人」とは?簡単に説明
昭和18年に滋賀県大津市で生まれた三條正人(さんじょうまさと)こと渡邉正好(わたなべまさよし)は、人気ムード歌謡グループである「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のメインボーカリストを務めた人物です。
法政大学在学中にコーラスグループを結成した三條は、その後「山下洋治とムーディスターズ」に所属し、そこでの活躍が認められたことで、男性歌謡コーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のリードボーカルに抜擢されることになります。
グループのデビュー曲「小樽のひとよ」は大ヒットし、その翌年にリリースした「旅路のひとよ」は日本レコード大賞における歌唱賞を受賞して、その年のNHK紅白歌合戦に初出場することになります。
昭和49年にグループを解散してソロ活動を始めた三條でしたが、平成28年ごろから体調を崩し始め、翌年マントル細胞リンパ腫により74歳で永眠しています。
「三条正人」の死に様
平成29年10月5日、三條正人は悪性リンパ腫の一種であるマントル細胞リンパ腫のため東京都内の病院で74歳で死去しています。
死亡する前年頃から体調を崩し始めた三條は、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていましたが、芸能音楽活動は続行しつづけ、ステージやテレビ出演を止めることはありませんでした。
死を迎える1ヶ月ほど前には、群馬県富岡市のかぶらホールで開催されたロス・インディオスの55周年記念コンサートにゲスト出演しており、生涯最期のステージとなる舞台で客演として参加しています。
最期のステージから1ヶ月後、三條はマントル細胞リンパ腫により74歳で死去しています。
「三条正人」の死に様の信憑性
三條正人が死亡する前日、家族や関係者が遺品の整理を始めようとすると、三條自身が使用していた携帯電話からレース馬券を購入していたことが判明します。
闘病生活の真っ最中にもかかわらず、普段通りに自身の趣味に高じる三條の姿には、医師や家族なども「生きようとする気持ちがすごい」と驚きを禁じえませんでしたが、翌日には74年の生涯に幕を閉じています。
最後のステージとなった群馬県富岡市で行われた公演でのゲスト出演では、ステージに上がるまでは関係者に両脇を支えられるようにしていましたが、本番が始まるや否や自分の足でしっかりとステージに立ち、「小樽のひとよ」を含む自身のヒット曲を全4曲も歌い上げました。
「三条正人」の小ネタ等
日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した「旅路のひとよ」を皮切りにして、NHK紅白歌合戦6年連続出場した三條正人は、平成11年1月、東京都世田谷区の駐車場にて2人組の強盗に襲われ、頭部に怪我を負っています。
襲われた際には、2人を相手に乱闘になるものの失った所持金はゼロで、自身も比較的軽傷で済んでいます。
まとめ
昭和の人気ムード歌謡界を支え、活躍し続けた三條正人は、74歳で永眠しています。
最期の最期までステージに立ち続けたその魂は、現在の歌謡界にも息づいていることでしょう。