マタンキ!ジャンプ連載漫画中でもネタにされた「トイレット博士」の散り際とは?
この記事ではトイレット博士の晩年と散り際について解説していきます。
「トイレット博士」とは?簡単に説明
昭和40年代の週刊少年ジャンプ連載陣のなかで異彩をはなったキャラクターであり漫画のタイトル、そして作者「とりいかずよし」氏を指します。
マタンキ!やメタクソ団は当時の週刊少年ジャンプ連載漫画の他漫画、後年でも『こち亀』の両さんがネタにするなど人気を誇りました。
劇中でのトイレット博士は第一部をもってリストラされ、ほぼ登場しなくなります。
作者のトイレット博士も「赤塚不二夫氏」のフジオプロから独立後はヒット作には恵まれることがありませんでした。
「トイレット博士」の晩年
1995年に男女共学体制に移行した愛知淑徳大学の文化創造学部・メディアプロデュース学部・創造表現学部の教授として活躍。
多くの後進を育てており、商業デビューしたゼミ生は10人を越えます。
また地方テレビ制作の深夜番組としては異例の長寿番組となった『サラリーマン・アワー 平成のオキテ』では劇中のネタのイラスト化で話題になるなど、名古屋ローカルネタを前面に出していました。
その一方で00年代江戸時代の謎の多い浮世絵師「葛飾北斎」を描いた『デカダンス』で漫画家業は終え、原作のみのストーリー提供をメインに移行しています。
その後『漫画工場すばる』を主宰、人材育成に務めています。
「トイレット博士」の死に様
17年より勤務形態は非常勤講師になったもの学内、学外での活動、指導は積極的に行っていました。
しかしすい臓がんに罹患。
コロナ禍で学生の卒業式に出れなかった年もあったため、22年の卒業式には顔を出すことを熱望していましたが、力尽きてしまいました。
2022年2月9日、75歳没。
死因はすい臓がんによるものでした。
「トイレット博士」の死に様の信憑性
亡くなる1年半ほど前のインタビューでは、売れっ子漫画家時代の無茶苦茶な生活が祟っているもの健在なことを明かしています。
食生活等には気をつけているとは言うもの愛知淑徳大学のある長久手町からは遠い名駅中村区界隈の仕事場で寝泊まりし、食事も自身で作っている多忙な日々を明かしました。
一方で死去のもととなったすい臓がんについては語っておらず、闘病生活なども公表されていません。
手術後リハビリの過程では22年3月17日の愛知淑徳大学長久手キャンパスでの創造表現学部の卒業式には顔を出したいと話していたそうです。
まとめ
トイレット博士こと「とりいかずよし」氏は2022年2月9日に亡くなっています。
75歳没。
死因はすい臓がんによるものでした。
一方で劇中のキャラクターとしてのトイレット博士は第1部終了とともにフェイドアウト。
7年に渡った連載の最終回にも姿を見せませんでした。