「東八郎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「東八郎」の死に際とは?日本の人物

「東八郎(あずまはちろう)」とは?

東八郎の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「東八郎」とは?簡単に説明

東八郎は1960年代後半~1980年代を代表するコメディアンの一人です。

次男がお笑いコンビTake2の東貴博であることも有名です。

1964年(昭和39年)に小島三児、原田健二とトリオ・スカイラインを結成し人気を博しますが、1971年(昭和46年)に解散後はピン(単独)で芸能活動を続けます。

1972年(昭和47年)に始まったNHKの「お笑いオンステージ」に三波伸介とレギュラー出演したことで全国区のコメディアンとなります。

その後、「東八郎劇団」を結成し、後進の育成にも力を注いでいます。

ちなみに東八郎の一番弟子はあの「欽ちゃん」こと萩本欽一です。



「東八郎」の晩年

晩年の東八郎は「志村けんのバカ殿様」の家老役やメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲をバックにして額に「光」のシールを貼って登場する「ヨード卵光」のCMに出演する人気コメディアンとして有名でした。

しかし、長年にわたって糖尿病を患っており、1983年(昭和58年)47歳の時には重度の糖尿病で緊急入院していますが、それでも仕事を休むことはなかったそうです。

逝去の数か月前にはかなり病状が進行していました。

しかし、この時も予定していた新宿コマ劇場での舞台公演を家族や関係者の反対を押し切って出演し、結局これが生涯で最後の舞台となっています。

東八郎の長年の芸能活動は晩年、第14回日本放送演芸大賞話題賞や第3回浅草芸能大賞奨励賞を受賞するなど高く評価されています。



「東八郎」の死に様

東八郎は1988年(昭和63年)7月6日の昼過ぎ、自宅で眠っている最中に突然脳溢血を起こし、日本医科大学付属病院に緊急搬送されます。

しかし、意識が回復することなく、同日の15時30分に息を引き取っています。

享年52歳。

死因は脳溢血でした。

数日前も元気で仕事をしたり、家族で外食に出かけたりしていたそうで、まさに急死だったようです。

「東八郎」の死に様の信憑性

緊急搬送されてからの死に様は病院でのことですので、まず信憑性としては確かでしょう。

しかし、緊急搬送の前の自宅での様子は上述した死に様とは異なる様子だったことを当時のワイドショーでも話題になっていたそうですが、真相は分かりません。

他人には言えない状況があったのかもしれませんが、個人の名誉にかかわることかもしれませんので、あまり詮索しなくてよいのではないでしょうか。

まとめ

東八郎が現役で活躍していた頃は、私にはその人柄やキャラからも大物感があまり感じられませんでしたが、改めて見てみると、一番弟子が欽ちゃん(萩本欣一)だったり、志村けんが最もリスペクトしたコメディアンだったりと、想像以上の大物ぶりで改めて驚きました。

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