「なかにし礼」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「なかにし礼」の死に際とは?日本の人物

「北酒場」「石狩挽歌」などのヒット曲を手掛けた作家のなかにし礼は、82歳で亡くなっています。

今回は、作詞家や作家として数々のヒット作を世に送り出した彼の死因に迫ります。

「なかにし礼」とは?簡単に説明

昭和13年に旧満州国で生まれたなかにし礼こと中西禮三(れいぞう)は、小説家や作詞家として知られる人物で、晩年はテレビのコメンテーターとしても活躍していました。

戦後、満州から両親の生まれ故郷である北海道に戻った中西は、大学入学前からシャンソン喫茶で働いており、大学入学後はシャンソンの訳詩などで頭角を現し、その後は歌謡界でもその類まれな作詞能力が認められていきます。

作家としても直木賞を受賞し、自身の書いた作品がNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」の原作に起用されるなど、順調にキャリアを重ねていきますが、令和2年、療養中の都内の病院で心筋梗塞を患って亡くなっています。

享年82歳でした。



「なかにし礼」の死に様

令和2年12月23日、なかにし礼は療養生活を送っていた東京都内の病院で心筋梗塞により82歳で亡くなっています。

平成24年に食道がんと診断された中西は、抗がん剤や放射線治療、手術などを回避して、自ら学んだ陽子線療法で闘病していくことを決意します。

この療法が一旦は功を奏しますが、数年後がんを再発してしまった中西は、闘病中に発表した単行本「生きるということ」の中で、がんの再発と向き合いながら送る闘病生活などについて赤裸々に語っています。

死亡する1か月ほど前に持病の心臓病が悪化したため入院することになった中西は、病床においても新しい作品の案を練るなど、精力的に復帰を目指していましたが、最期は心筋梗塞により死亡しています。



「なかにし礼」の死に様の信憑性

平成24年に罹患した食道がんを一度は克服したなかにし礼でしたが、その後がんが再発してしまい、再び闘病生活を送ることを余儀なくされてしまいます。

54歳の時に心筋梗塞を患い、心臓の4割ほどが壊死(えし)してしまいますが、放射線治療の一種である陽子線治療を4カ月にわたり30回受けたことで一旦はがんを克服することに成功します。

退院後は心臓の機能を半分ほどしか使うことができなかったため、平成28年にはICDと呼ばれる植え込み型除細動器と心臓ペースメーカーを体内に植え込む手術を受け、成功したものの、術後再びがんが再発してしまい、心筋梗塞を発症したことにより82歳で亡くなっています。

「なかにし礼」の小ネタ等

石原裕次郎や美空ひばりなどの昭和を代表する大物歌手から、TOKIOや氷川きよしなどの楽曲まで手掛けていたヒットメーカーであるなかにし礼は、自身の療養生活を包み隠さず単行本に書き残しながら闘病していた稀有な作家でした。

まとめ

数々のヒット曲や小説などを世に送りだしてきた稀代のヒットメーカーであるなかにし礼は82歳で亡くなっています。

彼の残してきた素晴らしい作品群は現在においても沢山の人たちから愛され続けています。

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