王道から邪道プロレスへ!
ターザン後藤の散り際とは?この記事では「ターザン後藤」の晩年と最期について解説します。
「ターザン後藤」とは?簡単に説明
「天竜源一郎」らと同様に大相撲出身のプロレスラー。
「ジャンボ鶴田」の付き人を務め、プロレス大賞の新人賞を受賞し、NWA南部テリトリーで海外武者修行で経験を積みます。
しかし全日側との行き違いから引退した見なされ、帰国命令がでませんでした。
その後「大仁田厚」がFMWを旗揚げする際に彼を勧誘。
帰国し、大仁田の盟友としてFMWを支えていくことになります。
インディ団体ながらも2度のプロレス大賞年間最高試合賞を受賞するなど実力を見せますが、1995年に突如FMWを離脱。
インディ団体を渡り歩く流浪人となるのでした。
「ターザン後藤」の晩年
ターザン後藤一派は時と名前を変えて存続。
2009年に『FMWプロレスリング』を設立し、2010年『スーパーFMW』と改称し、インディ団体として活動を続けます。
また同時に『スーパーFMW茜』スナックを開業し、下町からプロレスのトップを謳っていました。
2014年に一旦は活動休止。
あっと驚きの姿を見せたのは2017年のこと東京都墨田区の「太楼ラーメン」の店主と結婚し、修業中だと大阪朝日放送の『新婚さんいらっしゃい!』で明かしたことでしょう。
2018年年末には団体活動を再開させてもいました。
「ターザン後藤」の死に様
具体的なことについては明らかにされておらず、現在は介護職についている「ミスター雁之助」氏の報告による急逝となりました。
2022年5月30日18時50分に53歳で亡くなったこと、死因は肝臓がんだったことが明らかにされています。
「ターザン後藤」の死に様の信憑性
FMW時代の元付け人で苦楽を共にした「ミスター雁之助」氏が22年5月30日のTwitterで29日18時50分に亡くなったことを報告し、在りし日の後藤氏とIWAタッグチャンピオン時の姿を投稿しています。
その後各スポーツ紙、夕刊紙が31日にこぞって報道しており、雁之助氏のTweetが第一報となったのは間違いありません。
引退試合直前で袂を別れた大仁田厚氏も死去についてのコメントを出しています。
まとめ
「ターザン後藤」は2022年5月29日の18時50分に亡くなりました。
58歳で死因は肝臓がんでした。
2014年以降はほとんどプロレスラーとしての活動はなく、2017年に東京都墨田区の「太楼ラーメン」の女将と結婚。
料理修業をしつつ、厨房にたっていました。
近年は体調を崩しがちとのことでしたが、22年の1月末には若干痩せたものの元気な姿を夕刊紙の取材に見せており、それからわずか4か月後に亡くなっています。