「安倍晴明」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「安倍晴明」の死に際とは?日本の人物

安倍晴明は、平安時代に活躍した陰陽師です。

土御門家の祖となりました。

安倍晴明の晩年と最期について紹介します。

安倍晴明とは?

安倍晴明は大膳大夫であった安倍益材の子と言われていますが、その出自ははっきりしません。

淡路守の安倍春材の子という説や阿倍仲麻呂の子孫という説もあります。

陰陽師であった賀茂忠行と賀茂保憲親子から陰陽道を学んだと言われています。

賀茂保憲から天文道を授けられました。

天文博士や大膳大夫といった役職を歴任しています。

占いの才能は周囲にも認められていたようで、賀茂保憲が没した後に陰陽師として頭角を現しました。

安倍晴明の晩年

安倍晴明は、皇太子であった師貞親王から那智山の天狗を封じる儀式を命じられています。

師貞親王からは非常に信頼されていたようで、花山天皇として即位した後にも晴明は占いや陰陽道の儀式を度々命じられています。

花山天皇が退位した後にも、一条天皇や藤原道長といった時の権力者から信頼されました。

一条天皇が病に倒れた時も、晴明が禊を行ったところたちまち回復したという逸話も残されています。

干ばつが続いた折にも、晴明は雨ごいの儀式を行っています。

すると、たちまち雨が降ったため一条天皇は感嘆したといいます。

陰陽師としての名声は高まる一方で、主計権助・左京権大夫・穀倉院別当・播磨守といった役職を歴任しました。

位階も従四位下まで昇っています。

賀茂氏と並んで、陰陽家としての地位を確立したのです。

安倍晴明の最期

安倍晴明が亡くなったのは、85歳の時でした。

その前年には干ばつによる雨ごいの儀式をしており、精力的に活動していたことが分かります。

死因ははっきりしたことは分かっていませんが、当時としては非常に高齢であったことを考えると老衰の可能性が高いです。

安倍晴明のライバル

安倍晴明には、蘆屋道満というライバルがいたと言われています。

蘆屋道満は道摩法師とも呼ばれており、陰陽師及び呪術師でした。

蘆屋道満は陰陽道が盛んだった播磨国の出身で、諸国を放浪していたといいます。

安倍晴明と陰陽道の技を競ったというエピソードが残されています。

晴明が藤原道長に近い陰陽師だったのに対して、蘆屋道満は藤原顕光に雇われた陰陽師でした。

藤原顕光は、道長に政治の実権を奪われ道長を憎んでいたといわれています。

死後にも怨霊になったとされる程でした。

安倍晴明をめぐる逸話

安倍晴明は、亡くなった直後から神秘化されていきました。

現在も様々な小説や映画、演劇、漫画などに取り上げられる想像力をかきたてられる存在です。

フィギュアスケートの羽生結弦選手が、2018年に開催された平昌オリンピックで陰陽師を題材にした「SEIMEI」のプログラムで演技をしたこともよく知られています。

まとめ

安倍晴明は、陰陽師として名をはせた人物です。

晩年も精力的に活動しており、干ばつの際には雨ごいをして雨を降らせました。

85歳で亡くなっています。

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