「やしきたかじん」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「やしきたかじん」の死に際とは?日本の人物

浪速の視聴率男という異名で親しまれていたテレビタレント、やしきたかじんは64歳で亡くなっています。

今回はその死因について解説していきます。

「やしきたかじん」とは?簡単に説明

昭和24年に大阪府大阪市で生まれた「やしきたかじん」こと家鋪隆仁(やしきたかじ)は、主に関西ローカルや大阪放送局の製作番組などで活躍したテレビタレントです。

昭和46年に歌手としてデビューを飾ったたかじんは、FM東京が選出する最優秀新人賞のベスト5に選ばれ、その後は自身の曲がコマーシャルソングに採用されるなど、順調に歌手としての道を歩んでいきます。

昭和61年にリリースした「やっぱ好きやねん」のヒットにより、大阪色を前面に出したバラードシンガーとしての地位を不動のものとしたたかじんは、その後テレビでも「たかじんのそこまで言って委員会」などのヒット番組を手掛けたことで、一流タレントの仲間入りを果たしますが、平成26年に心不全により64歳で亡くなっています。



「やしきたかじん」の死に様

やしきたかじんは、平成26年に東京都内の病院で心不全により64歳の生涯に幕を下ろしています。

「おめでたいお正月から、自分の訃報で関係者やファンなどに悲しい思いをさせたくない」というたかじん本人の意向により、密葬を済ませた後にその死が公表されています。

彼の死を知った数多くの関係者たちが哀悼の意を表しますが、その中には当時の安倍晋三内閣総理大臣からの弔意もあったと言います。

たかじんは死を迎える数日前には、大晦日に放送された「第64回NHK紅白歌合戦」を視聴しており、テレビにくぎ付けになりながらリモコンをしっかり握ぎり、夢中で観ていたそうです。



「やしきたかじん」の死に様の信憑性

平成24年に食道がんを罹患したやしきたかじんは、芸能活動を一旦休止して、抗がん剤治療に入って手術も受けています。

その後驚異的な回復により一時は退院することが叶ったたかじんでしたが、その後も入退院を繰り返しながら闘病していくことになります。

食道がんを患っていたものの、毎晩の飲酒を止めることはできず、闘病中も仲間たちと大好きなワインなどを以前と同じように飲み続けていました。

この療養生活中に32歳年下の一般女性と自身3度目となる婚姻関係を結んだたかじんでしたが、1年2カ月の闘病生活の後に64歳で永眠しています。

「やしきたかじん」の小ネタ等

やしきたかじんが亡くなった後、若い後妻と前妻との子どもの間で遺産相続問題が巻き起こります。

たかじん本人が残した遺書には、遺産総額10億円の配分先についての遺言が細かく書き連ねてありましたが、その真贋について裁判で争われています。

まとめ

浪速の視聴率男として親しまれていたやしきたかじんは64歳で死亡しています。

多彩な才能により数多くの視聴者を楽しませてくれたたかじんの功績は、昭和と平成の芸能史において多大な貢献を果たしたと言っても過言ではないでしょう。

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