「紫式部」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「紫式部」の死に際とは?日本の人物

紫式部は、平安時代に源氏物語を書いた人物です。

紫式部の晩年と最期について紹介します。

紫式部とは?

紫式部とは平安時代に活躍した作家で、源氏物語の著者として知られています。

源氏物語は、主人公の光源氏を中心とする貴族社会を描いた長編物語です。

紫式部は下級貴族の娘に生まれ、藤原宣孝と結婚しました。

娘をもうけますが夫と死別し、それから物語を書き始めたといわれています。

その物語が源氏物語で、評判となります。

それを聞きつけた藤原道長により召し出されて、中宮彰子に仕えることになりました。



紫式部の晩年

紫式部が源氏物語を書き始めたのは、夫を亡くしてからです。

結婚したのは27歳の頃といわれており、夫の宣孝とはかなり歳が離れていたといいます。

宣孝には紫式部と年の近い息子もいたようです。

ただし、夫との仲は睦まじく幸せな結婚生活でした。

ところが結婚から3年後、夫が亡くなってしまいます。

その悲しみを癒すためか物語を書き始めますが、それが評判となり時の権力者であった藤原道長の耳に入ります。

道長によって宮廷に召し出され、道長の娘で一条天皇の中宮である彰子に仕えることになりました。

宮中の様子を書いた「紫式部日記」も道長の求めに応じて書いたものです。

また、紫式部は彰子に仕えながら道長の支援もあって源氏物語を書き続けました。

紫式部という名前は、源氏物語に登場する紫の上から自然にそう呼ばれるようになったとされます。



紫式部の死に様

紫式部の生涯は、あまり詳しく分かっていません。

生没年などもはっきりしておらず、いつ亡くなったかについては諸説あります。

最近の研究では生まれたのは970年から978年頃とされ、1019年頃までは生きていたと考えられています。

紫式部が源氏物語を完成させたのは中宮彰子に仕えていた頃で、宮仕えを終えた後の暮らしぶりはよく分かっていません。

50歳前後まで存命であったことを考えると、病で亡くなったとするのが自然です。

紫式部の死に様の信憑性

紫式部の死に関しては様々な説があり、専門家の間でもはっきりとして定説は見いだせていません。

平安時代の公式な記録には、女性の記録はほとんどないからです。

中には源氏物語は紫式部が書いたものではないといった説もあります。

そのため死因や没年を特定するのは難しいです。

まとめ

紫式部は晩年、一条天皇の中宮である彰子に仕え、その間に源氏物語を書き上げました。

いつ亡くなったのかはよく分かっていません。

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