「はしだのりひこ」とは?はしだのりひこの晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「はしだのりひこ」とは?簡単に説明
はしだのりひこ(本名・端田宣彦)は京都出身のフォークシンガーで、1960~70年代のフォーク世代を代表する一人です。
きたやまおさむ、加藤和彦らが結成したザ・フォーク・クルセダーズに1967年に加入し、「帰ってきたヨッパライ」などのヒットを飛ばし、関西フォークブームの先駆けとなっています。
「フォークル」解散後、のちに結成する「はしだのりひことシューベルツ」では「風」を、「はしだのりひことクライマックス」では「花嫁」をヒットさせています。
「はしだのりひこ」の晩年
はしだのりひこは約10年前にパーキンソン病を患い、数年前からは車椅子で療養生活を送っていました。
ただ、それ以前にも日常の動作など様子が変だったらしく、娘の話によるとパーキンソン病の発症は20年くらい前になるのでは?とのことです。
人にもよりますが、この病気は病状の進行が比較的遅いため、病気が発覚するのも初期段階では難しいようです。
また、同じ頃に併行して妻の病気の看病に専念し、「主夫」していたこともあります。
この「主夫」体験記はのちに本(「おとうさんゴハンまーだ」)になり、映画化(「風のあるぺじお」)もされます。
なお、妻の和子夫人は大腸ガンと闘病の上、2008年に亡くなりました。
ちなみにヒット曲「花嫁」のモデルは和子夫人だそうです。
2017年4月、京都で催されたコンサートにサプライズゲストとして登場し、きたやまおさむらと共演しています。
車椅子を使っていたものの、とても元気そうだったとも言われていましたが、これが公の場に姿を見せたはしだの最後のステージになりました。
2017年5月には急逝骨髄性白血病を併発して入院します。
「はしだのりひこ」の死に様
はしだのりひこは2017年12月2日、午前1時16分、京都市内の病院で家族や音楽仲間に看取られながら72歳で亡くなりました。
死因は急性骨髄性白血病の影響で悪化したパーキンソン病だとされています。
「はしだのりひこ」の死に様の信憑性
はしだのりひこの死因はパーキンソン病とされていますが、パーキンソン病が直接の原因で死に至ることはないと聞いたことがあります。
パーキンソン病は症状が進むと筋肉の固縮などから筋力が弱まり、肺の動きをはじめあらゆる身体の個所の動きが悪くなります。
死因の詳細な発表が無いため、正確な死因は不明ですが、正確な死因はパーキンソン病を起因とする肺の動きの鈍化による呼吸低下などが考えられます。
あるいはパーキンソン病の悪化に繋がった急逝骨髄性白血病が死因だったかも知れません。
まとめ
夜汽車に乗って嫁ぐ花嫁に実在のモデルがいて、それがはしだのりひこの妻・和子夫人だったとは驚きです。
多忙なはしだに会うために夜汽車を使ったこともあるエピソードが元のようですが、夫婦愛を感じるエピソードです。