「君島一郎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「君島一郎」の死に際とは?日本の人物

君島一郎は、KIMIJIMAブランドを築いたファッションデザイナーです。

君島一郎の晩年と最期について紹介します。

君島一郎とは?

君島一郎は、長野工業高等専門学校で建築を学びます。

卒業後に建築デザイナーからファッションデザイナーに転身しました。

駒込に会員制のアトリエを開き、1962年に東京の青山にオートクチュールの店をオープンします。

1976年には、パリ・コレクションで作品を発表しました。

ファッションの本場であるパリにKIMIJIMA PARISを開き、社交界からも注目されるようになります。

中国でファッションショーを開催したり、皇族にも愛用されるなどKIMIJIMAブランドを日本の一流ファッションブランドに押し上げました。

君島一郎の晩年

君島一郎というと、ファッションデザイナーとしての功績よりお家騒動を思い浮かべる人も多いかもしれません。

当時、君島一郎が作り上げたKIMIJIMAブランドは、ゴージャスでエレガントな超高級ブランドとして確固たる地位を築いていました。

ヨーロッパでも君島一郎は、世界的な一流デザイナーの一人に数えられていたほどです。

お家騒動のきっかけとなったのは、君島一郎の次男である明と女優である吉川十和子の結婚でした。

実は明は本妻である由希子の子どもではなく、愛人が生んだ婚外子だったからです。

本妻の由希子と一郎の間には、長男である立洋もいます。

複雑な家庭環境や兄弟間の対立などが次々と明らかになり、連日ワイドショーを賑わしました。

息子である明にも十和子と婚約する前に婚外子がいたことが判明します。

マスコミに取り上げられる程にKIMIJIMAブランドのイメージは失墜し、ブティックの売り上げも大きく減ってしまいました。

経営が一気に悪化したのです。

君島一郎の最期

君島一郎は、次男の明と吉川十和子が結婚した年に急死しています。

死因は心筋梗塞だったといわれており、突然の死だったようです。

享年67でした。

君島一郎の死後

君島一郎が亡くなると、KIMIJIMAブランドの跡を継いだのは次男の明でした。

しかし、莫大な借金が残っており、事業を継承した明は40億の負債を抱えたともいわれています。

結局、ブティックは全て閉鎖されることになりました。

しかし、明の妻になった十和子には実業家としての才能があったようで、明と共にコスメブランドを立ち上げ成功しています。

40億といわれた借金も完済しました。

また、君島一郎の正妻だった由希子は、Yukiko Kimijimaというブランドを立ち上げドレスを作り続けています。

元々、KIMIJIMAブランドでも縫製を担当していて、一郎とはビジネスではお互いをよく理解しあったパートナー関係にありました。

ただし、正妻であっても長年別居していたといわれています。

まとめ

君島一郎は、世界的にも認められたKIMIJIMAブランドを一流ブランドに築き上げました。

しかし、晩年はスキャンダルにまみれ、67歳の時に心筋梗塞で急死しています。

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