この記事では、「マリア・カラス」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「マリア・カラス」とは?
「マリア・カラス」とは20世紀最高の歌姫といわれたオペラ歌手です。
アメリカでギリシア系移民の子として誕生しました。
アテネ音楽院でイダルゴに師事し、1938年にアテネ王立歌劇場でオペラ歌手としてデビューしました。
ミラノスカラ座やパリオペラ座、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場等で歌い大成功を収めます。
優れたテクニックによる歌唱と内面にまで深くしみわたるような表現は、多くの聴衆を魅了しました。
「マリア・カラス」の晩年
「マリア・カラス」は晩年、オペラに出演することは減っていました。
絶頂期は既に過ぎており、彼女の美しい歌声は失われつつあったからです。
その理由としては、ドラマティコやベルカントと呼ばれるオペラ独特の歌唱法による難しい役を歌い続けてきたことが挙げられます。
喉に負担が大きいため、喉を傷めてしまったからです。
「マリア・カラス」の当たり役として有名なノルマは、喉の負担が大きな役だといわれています。
高音域が徐々に出せなくなっていきました。
そして、舞台に立ったのは、1965年の「トスカ」が最後です。
それ以降はオペラ歌手としては引退状態となります。
ただし、リサイタルは開催しており、日本公演も行われました。
ピエル・パオロ・パゾリーニの映画「王女メディア」でも主演を務めています。
「マリア・カラス」の死に様
「マリア・カラス」は晩年、パリ16区に住んでいました。
自宅で倒れ、急死してしまいます。
享年53でした。
「マリア・カラス」の死に様の信憑性
「マリア・カラス」の死因は、心臓発作といわれています。
しかし、毒殺説などもありますし、自殺したという説もあります。
「マリア・カラス」は一度自殺未遂をしたことがあり、その時は助かりました。
自殺未遂をした理由は、長年交際していたアリストテレス・オナシスと別れたからです。
オナシスは海運王と呼ばれる大富豪で、出会った当時「マリア・カラス」には夫がいました。
夫と離婚してオナシスとパートナー関係になりますが、10年近く交際した後オナシスはジョン・F・ケネディの未亡人であるジャクリーン・ケネディと電撃結婚してしまいます。
そういったこともあり自殺説も唱えられていますが、信憑性が高い話ではありません。
まとめ
「マリア・カラス」は晩年は喉を傷め、オペラ歌手を引退していました。
そして53歳でパリの自宅で倒れ亡くなります。