「ハイアン・グレイシー」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「ハイアン・グレイシー」の死に際とは?世界の人物

日本の格闘ブーム全盛期を彩ったグレイシー柔術の使い手「ハイアン・グレイシー」の散り際とは?

この記事ではハイアン・グレイシーの晩年と散り際について解説していきます。

「ハイアン・グレイシー」とは?簡単に説明

2000年代初頭の日本の格闘ブームにおいて、1つのムーブメントを作ったブラジリアン柔術の使い手の1人です。

創始者の「カーロス・グレイシー」の次男である「カーロス・ボブソン」の四男にあたります。

次男「ヘンゾ」三男「ハウフ」も日本では有名。

喧嘩家として知られ、一族の仲でも狂犬扱いでキャラクターは強いものがありました。

「ケンドー・カシン」こと「石澤常光」氏が『PRIDE. 15』で勝利したことで溜飲を下げたプロレスファンも多かったことでしょう。

次戦で「桜庭和志」氏に破れ、強さの印象は薄くなりました。



「ハイアン・グレイシー」の晩年

日本での最後の試合のマッチメイクが「安生洋二」氏相手の戦いになったことから考えても自身の商品価値は落ちていたのは間違いないところでしょう。

また自身の怪我の最中に主な活躍の場であった『PRIDE』がフジテレビとの全面契約解除による資金力不足で高額なファイトマネーを提示できなかった側面もあります。

自身の怪我は兄弟の家で拳銃を誤って自身の足に誤射して重症を負ったものでした。

またこの後07年に起きた事件もブラジルらしい治安の悪さを象徴したものとなっています。



「ハイアン・グレイシー」の死に様

2007年12月15日午前7時にサンパウロ州警察の91分署の拘置所で死亡しているのが確認されています。

33歳没。

死因は薬物によるものでした。

「ハイアン・グレイシー」の死に様の信憑性

ブラジルの治安の悪さは誰しもが知るところで、街中で「ロベルト・カルロス」氏がラジオ出演中に強盗にあったのは有名な話。

しかし今回は充分なファイトマネーを得ていたはずのハイアン氏が自ら車を窃盗したことによる驚きがありました。

逮捕時の尿検査ではマリファナとコカインも検出されたことで薬物による中毒死、過剰摂取による心不全が疑われました。

最初から病院へ運ばれるべき状態だったとされ、医師が招聘されることになりました。

そこでミタゾラム、アルプラゾラム、プロメタジン、クロザピンなど鎮静剤や抗うつ薬を医師によって処方。

没後に医師は彼の死亡理由を薬の過剰摂取ではないと説明。

元々コカインやマリファナで心臓が弱っていたため、これらの鎮静剤や抗うつ薬と残存の麻薬がカクテルになった不幸な死であると主張しています。

いずれにせよ、ハイアン氏は逮捕後、病院へは向かわずに法医学研究所での尿検査を経て警察に向かうことになりました。

そして法医学研究所を出る時の状態は歩いて出れないものだったと姉の「フラヴィア」氏は証言。

その後フラヴィア氏は弟の死と警官に渡す賄賂を要求され激昂、裁判にまで発展することになりました。

最終的には鎮痛剤・抗うつ薬の過剰処方で医師は医療過失で逮捕されています。

まとめ

2007年12月15日7時にサンパウロ警察の拘置所の独房で倒れているところを発見されています。

既に脈はなく死亡していたようです。

33歳没。

死因は医師が過剰処方した薬を摂取したため。

コカインとマリファナが尿検査で陽性でした。

既に長年の使用で心臓が弱っており、経年薬物摂取と薬の過剰摂取によるカクテルで亡くなったとも言われます。

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