アリ・ザ・グレーテスト=炎のファイター「モハメド・アリ」の散り際とは?
この記事ではモハメド・アリの晩年と最期について解説します。
「モハメド・アリ」とは?簡単に説明
冬の風物詩、全国高校サッカーで高校のブラスバンド部が流す定番曲「炎のファイター・猪木ボンバイエ」は「アントニオ猪木」氏のリング入場曲です。
この曲を猪木氏に友情の証として贈ったのが「モハメド・アリ」です。
レジェンドですが、現役時代を知っている人は多くはないと思われます。
特筆すべきはベトナム戦争への徴兵拒否絡みで約三年半のブランクがありながら、4度のファイター・オブ・ザ・イヤーを獲得しているところでしょう。
異種格闘技戦で猪木氏と闘ったのは言わずもがな、70年代を代表するファイターです。
「モハメド・アリ」の晩年
パーキンソン病を患っていたのは有名な話です。
日本では「アントニオ猪木」氏と縁が深いこともあり、1995年の『平和のための平壌国際体育・文化祝典』の前に来日。
1998年4月4日の『燃える闘魂アントニオ猪木引退試合』で姿を見せたのが印象的でしょう。
この他には「マイク・タイソン」の東京ドームでのタイトルマッチにも姿を現しています。
普段は歩くのもようやっとの状態とされながら、フラッシュによりアドレナリンが入るのか、平壌、東京ドームでも背筋をピンと張って弱々しい姿を見せることはなく、関係者を驚かせた逸話があります。
来日は猪木氏の引退試合98年が最後となりました。
「モハメド・アリ」の死に様
2016年6月3日に自身がアリゾナ州フェニックスに設立した『モハメド・アリパーキンソンセンター』で亡くなっています。
74歳没。
死因は敗血症性ショックによるものでした。
「モハメド・アリ」の死に様の信憑性
前日の6月2日に呼吸器疾患により、緊急入院したことがロイター通信により伝えられていました。
「生命に関わるような大事ではないが、短期の入院を必要とするもの」代理人は報道陣にはこう発表していました。
それだけにその死は突然のものだったと言っていいでしょう。
ただ家族、代理人がマスコミに真実を伏せていたのは明らかで、没後に報じられた亡くなる前の1週間のアリ氏の病状は芳しいものではありませんでした。
また遺族は敗血症ショックではあるものの特定されない自然死とも語り、天寿を全うしたことを強調して伝えています。
まとめ
「モハメド・アリ」は2016年6月3日に永眠しています。
74歳没。
死因は敗血症ショックによる自然死と遺族が語っており、天寿を全うしたと言っていいでしょう。
晩年は尿路感染症絡みで体調を崩しがちだったと言います。
亡くなる前日に呼吸器疾患により入院、命には別状はないと言われていましたが、これは真実が伏せられていたと言っていいでしょう。
最期の1週間は遠回しな表現でかなり苦しんだことも伝えられています。
しかしパーキンソン病発覚の際にUCLAの医師団から余命が10~15年と言われるもその倍の人生を送りました。
またパンチドランカーの印象を受けますが、パンチドランカーによる脳症では余命は5年程度とも言われ、こちらは明確に否定できるはずです。