ストリートギャングから抜けれなかった故の顛末?
「2Pac」の散り際とは?この記事では2Pacの晩年と散り際について解説します。
「2Pac」とは?簡単に説明
 ギャングスタラップやヒップホップ界に90年代彗星の様に現れたスター。
 活動期は91年から96年までと短いうえに、途中9ヶ月の獄中入りと銃弾5発を受ける大怪我による休養の2度の活動中断期間もあり、実質的な活動期間は5年に満たないほどでした。
 豊かな音楽への才能はあるもの、素行不良は治る気配は全くありませんでした。
 最後の最後までストリートギャングとして行動。
 96年の銃撃事件の3時間前にもストリートギャング同士の抗争で暴力事件を起こしています。
「2Pac」の晩年
 スターになったもの良くも悪くも変わらずの素行により、次々とトラブルに巻き込まれています。
 94年には襲撃事件で5発の銃弾を受けました。
 現場に「ショーン・コムズ」氏と「ノトーリアス・B. I. G. 」がいた事から、彼らの仕業と断定し、攻撃を多方面から展開したことでヒップホップ界は否応なしに東西海岸対立の図式ができあがります。
 翌年にはレイプ疑惑で9ヶ月の収監。
 それでもデス・ロウ・レコードと収監中に契約したことで保釈が適うと96年にはヒットナンバーを連発。
 確かな爪痕を刻んでいます。
「2Pac」の死に様
 1996年9月7日23時15分前後に事件は起きました。
 ラスベガスで「マイク・タイソン」氏のWBA世界ヘビー級タイトルマッチを観戦。
 親友が戴冠したのを見届けた帰りに悲劇が起こります。
 自身の車に横付けしてきた白のキャデラックから4発の発砲を受けてしまいました。
 銃撃を受けてから、それでもわずかの時間は運転もできたようで、銃撃現場からは移動していますが、警官が駆けつけた時には瀕死の状態でした。
 その後緊急搬送されましたが1996年9月13日16時頃に永眠しています。
 25歳没。
 銃弾の1発が右肺に入っており、呼吸不全を起こしたため摘出手術を行いました。
 しかし元々が危険な状態だったのに加えて、肺からの出血は止まることなく心肺停止に陥ってしまいました。
「2Pac」の死に様の信憑性
 後にビルボードで2Pac氏の銃撃事件の現場に駆けつけた警官によると最期の言葉が“FUCK YOU”だったこと、同情していた「シュグ・ナイト」氏に何かを訴えようとしていたことから、様々な憶測が飛び交うことになりました。
 ナイト氏が曰くつきの人間なのは明らかで、自作自演の疑いがかけられるほど。
 その他で有力なのは2Pac氏の母親ガーランド氏によれば既に犯人は亡くなっていると明言した人物でしょう。
 この人物は「オーランド・アンダーソン」氏で98年にギャング同士の抗争で亡くなっています。
 実際には銃撃事件の3時間前に2Pac氏がアンダーソン氏に集団暴行を働いていたのが目撃されています。
まとめ
「2Pac」氏は9月7日の銃撃事件から約1週間後に搬送先の病院で死亡しています。
 25歳没。
 死因は右肺に入った1発の弾丸による呼吸不全と弾丸摘出中に出血が止まらなくなり、心肺停止に陥ったもの。
 銃撃犯は現在も捕まっておらず、謎の多い事件となりました。



