船越家に起きた諸問題に翻弄された?「平野洋子」の死に際とは?
この記事では平野洋子の晩年と死に際について解説していきます。
「平野洋子」とは?簡単に説明
父は「船越英二」母は「長谷川裕見子」そして「船越英一郎」は兄という芸能一家の生まれです。
小説家でもあり実業家としても知られていました。
特に幼少時病弱だった兄英一郎氏に継がせるために用意されたと言われる「旅荘船越」の女将としてのポジションは有名だと言えるでしょう。
兄が家業を継ぐことを拒否、旅荘の運営に母と共に携わっていく事になりました。
湯河原温泉を代表する要職に就くとともに湯河原を舞台にした小説を書いた事でも知られています。
「平野洋子」の晩年
旅館経営に悩んで鬱病を発症した時期があった事で知られています。
そこに追い討ちをかけたのが、兄・英一郎氏と「松居一代」氏の結婚騒動だったと言えるでしょう。
父英二氏が船越家の血を守るべくこの結婚に反対。
英一郎氏とは絶縁関係になってしまうのでした。
旅館経営は相変わらず厳しい状態が続きましたが、2009年には自身の体験を文章で具現化したエッセイ『医は仁術』が日本医師会賞を受賞するなど心の病は完全に寛解したように思えたのは間違いないでしょう。
「平野洋子」の死に様
2010年2月7日7時15分、神奈川県湯河原町の自宅でもある元旅荘船越の離れで逝去。
47歳没。
死因は首吊り自殺によるものだったと報道されています。
「平野洋子」の死に様の信憑性
09年1月にはエッセイが日本医師会主催のコンクールで入賞したもの、現実は厳しいものがありました。
旅館経営問題に加えて、母・裕見子氏が末期肺癌で介護が必要になっていたからです。
生真面目な性格から鬱病を発症するも1度は克服していましたが、再発を自らの口で明らかにしています。
夏の講演会で鬱病やパニック障害に陥っている事を公表。
父母から受け継いだ旅荘船越を10月いっぱいで閉館する事をブログで自らの口で語っていました。
但しその内容は深刻なものだったのは間違いありません。
まず自身が命のコントロールができなくなったと語っている事から自殺未遂に及んだ事が連想されました。
そして自殺という愚行に奔らないためにこの選択を選んだ事が明かされていたため、鬱病が深刻な状態に陥っていたのは間違いないと言えるでしょう。
しかし旅荘を畳んだ10月以降は自宅に引き篭もりがちになってしまい、外出した姿を見る事はなかったとの報道がされました。
母の介護に専念する事により逆に自分を追い詰めてしまったのかもしれません。
まとめ
2010年2月7日7時15分、神奈川県湯河原町の自宅、元旅荘船越の離れで死去。
47歳没。
死因は首吊り自殺によるものでした。
遺書の有無はわかっていません。
2009年の年初はエッセイがコンクール入賞を果たすなど幸先良かったもの、鬱病が再発してしまいました。
父母から受け継いだ旅荘船越を畳むのはどれだけの苦汁の思いだったのかは容易く想像できると言えるでしょう。
母の裕見子氏が末期肺癌で身体不自由。
さらに日に日に窶れていく彼女の姿を見る苦痛と介護の労力は多大なものがあったと思われます。
また英二氏逝去の際に松居氏が送ったとされるお悔やみ状の内容など心を逆立たせる出来事もありました。
複数の要因の積み重ねで自殺衝動を抑えきれなくなってしまった様に思えます。