この記事では、夏目雅子の晩年や最期を分かりやすく説明します。
夏目雅子とは?
夏目雅子とは若くして亡くなった名女優で、短い活動期間ながらもテレビドラマや映画など数々の名作に出演しています。
テレビドラマ「愛が見えますか」のオーディションでヒロインに抜擢され女優デビューすると、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり話題を集めます。
1978年には「西遊記」に三蔵法師役で出演し、人気を博しました。
1982年には映画「鬼龍院花子の生涯」で、ブルーリボン賞を受賞しています。
夏目雅子の晩年
夏目雅子は女優としてデビューした当初は、演技が拙く「お嬢さん芸」と言われていました。
しかし、本格的に女優としてやっていこうと決意し、女優としての評価を徐々に高めていきます。
様々なテレビドラマや映画に出演し、ヌードシーンも体当たりで演じました。
代表作となった「鬼龍院花子の生涯」では、本人が希望してスタントを立てずにヌードシーンを演じています。
夏目雅子の台詞であった「なめたらいかんぜよ」は流行語となりました。
この作品での演技が評価され、ブルーリボン賞の受賞につながったのです。
その際の授賞式の夏目雅子は、これからもお嬢さん芸で頑張ると挨拶しました。
プライベートでは1984年に作家の伊集院静と結婚しています。
夏目雅子の死に様
夏目雅子は舞台「愚かな女」に出演中、体調を崩して入院します。
本人は公演を続けることを希望していましたが、演技は精彩を欠き周りから見ても深刻な状況であることは一目瞭然でした。
検査の結果、急性骨髄性白血病と診断されます。
当時は特効薬がなく、不治の病といわれていました。
抗がん剤治療や新薬による治療を行いますが、髪の毛が抜け落ちたり倦怠感や眩暈が生じるなど強い副作用の悩まされ続けたといいます。
治療のかいもあって回復しますが、風邪をひいたことから肺炎を発症し亡くなりました。
享年27です。
夏目雅子の死に様の信憑性
夏目雅子の死因は急性骨髄性白血病と思われていますが、実は白血病自体は寛解していたといいます。
しかし、抗がん剤治療によって免疫が非常に低下していたため、風邪を引いたことで肺炎になってしまいました。
肺炎になってからあっという間に病状が悪化し、わずか数日で帰らぬ人となったのです。
まとめ
夏目雅子は晩年、急性骨髄性白血病を発症し闘病生活を送ります。
寛解しますが、風邪から肺炎となり27歳で亡くなりました。